2017年4月6日木曜日

教育勅語を読み、古事記・日本書紀に現れたる「道徳」をみる


今日は市内の九条の会の集まりがあり、教育勅語を実際に読み、その問題点を探るという試みがありました。

教育勅語は、次のような出だしで始まります。

朕惟フニ我カ皇祖皇宗國ヲ肇ムルコト宏遠ニ德ヲ樹ツルコト深厚ナリ
我カ臣民克ク忠ニ克ク孝ニ億兆心ヲ一ニシテ世世厥ノ美ヲ濟セルハ此レ我カ國 體ノ精華ニシテ教育ノ淵源亦實ニ此ニ存ス

 この後に具体的な徳目や義務が列挙されることは、前のブログで書いた通りです。
 さて、「わが皇祖皇宗が国をはじめたのははるか遠い昔であり、徳を樹てることが深厚だった」というほどの意味でしょうから、どんなに皇祖神や歴代の天皇が有徳だったのか、調べてみる価値があるというものでしょう。
 もちろん、そのためには8世紀初頭以降に世に出された日本書紀、古事記、続日本紀、古語拾遺、新選姓氏録などの諸々の古文献が役立つことはいうまでもありません。

 実は、私は現代経済以外に古い時代、特に縄文以来の日本列島の歴史人口統計学、家族史に興味があり、時間を見つけては、日本古代史や考古学(縄文時代、弥生時代、古墳時代、奈良・平安時代)関係の書物・論文・報告書をこの一年間、ずっと読み続けてきました。考古遺跡(縄文や弥生の住居跡、古墳、官衙)や寺社などもずいぶん訪れました。もちろん、古事記や日本書紀をはじめとする古文献もかなり読みました。
 そこに何が書かれているかは、日本古代史の専門家なら、改めて読み直さなくてもすらすら出てくるのでしょうが、私は歴史人口統計学以外の領域については素人です。古事記と日本書紀も詳しいところではずいぶんと相違があるようですが、見方によってはそれほど大きな相違はないといって良いのかもしれません。そこでボリュームのある日本書紀をさけ、とりあえず分量の少ない古事記をあらためて拾い読みしてみました。

 ところが、こうした問題関心からあらためて古事記を読むと、いやー、びっくりというしかありません。
 父母に対する尊敬、兄弟愛、夫婦相和、修学、滅私奉公などの徳目もよく探せばないわけではないかもしれませんが、むしろ、それにまったく反する出来事がきっしりつまっています。(日本列島内外の)他国に対する突然の侵略、親に対する反逆、兄弟の不和、夫婦の仲違い、私利私欲の追求、だましうち、(武烈や雄略による)皇位継承者の殺傷、臣下への理不尽なしうち、等々、これが有徳の君主かとあきれかえるような話が、これでもかこれでもかと書かれています。
 一つ一つ具体的な指摘をすることもできますが、長~いブログになってしまうので、今日のところは断念します。

 戦前、皇国史観全盛だったころ、いったいこうした記述を子どもたちにどのように教えていたのでしょうね~。
 ものの本によると、素朴な疑問を持った子どもに質問された教師が返事に窮したという話はききます。
 また(かつてのソ連でも同じような状況があったようですが)、独裁国家では人々は二重倫理に陥り、対外的・公式的には長いものに巻かれる(コンフォームされた)発言をし、一方、対内的、つまり心を許せる身内には、本心を話し、笑いとばすといったことが行われたようです。これはかつて大学卒業後将校として勤務していたことのある親戚の人からも聞いたことがあります。

 このように書くとネット右翼の方々から「自虐史観」というレッテルを貼られるかもしれませんが、私は自分を虐待したことはありませんし、これからもしないでしょう。
 むしろ教育勅語の命じる滅私奉公の義務を遂行したならば、過労死したり、戦死したり、生活を破壊され、本当の自虐になってしまうかもしれません。私は社会経済史家として真実・事実を明らかにし、私たちの命や生活を破壊しようとする勢力からわが身を、またわが同胞の身を守りたいだけです。

 本当の自虐史観におちいっているのは、むしろ愛国主義・ナショナリズムの名の下に自らを虐げることを人々に推奨しているネット右翼の方々ではないでしょうか?


2017年4月5日水曜日

グローバル化とナショナリズム・愛国主義の政治社会学 「きれいはきたない。きたないはきれい。」(シェークスピア『マクベス』)

 しばしば一見して相反する、または矛盾する事柄が同じ人(政党、団体、組織など)から発せられることがある。が、人はそれを矛盾と感ずることなく、見過ごすことが多い。
 もし同じ場所・同じ時間に同じ人がその二つのことを話したら、ほとんどの人は違和感をおぼえるだろう。しかし、場所的・時間的に分離してしまうと、相反事象や矛盾が相反ないし矛盾とは意識されないことがある。おそらく何らかの事情で人間の頭脳がそのように出来ているのであろう、というしかない。

 一例をあげよう。現在、企業経営者たちは、どこの国でも、「グローバル化のメガコンペティションの中で経営が苦しい。だから賃金の引き上げなど労働条件の改善が難しい」と泣き事をいうのが常套である。これは経営者の職務のようなものである。しかし、場合によっては、経営者は、「高い人件費・費用負担(税金や社会保障費負担)が続くと、もっと低い地域・国に流出するから、雇用・職が失われるけど、それでいいかな?」と脅してくる場合もある。このように政府に圧力をかけ、従業員を脅してみるのも経営者の職務の一つである。とはいえ、泣き事と脅しを同じ場所と時間に同時に行う者はいない。理由は明らかである。
 泣き事と脅しはまったく異なる行為、人々の態度としては正反対の行為である。しかし、労働条件の改善をしないというシグナルを発するものとしては両者はまったく同じである。様々なメディアを通じて人々に伝達される、このシグナルはしだいに人々の脳内に蓄えられて行き、いわば「制度化」される。それは一種のマインド・コントロールのようなものであり、もうすこし柔らかい言葉を用いれば、社会化(socialization)である。

 おそらくこれよりも相反度、矛盾度の高いのが、グローバル化の言説とナショナリズム・愛国主義の言説であろう。
 いうまでもなく、グローバル化=全地球化は、ナショナルな(国民的な)価値を否定し(あるいは否定しないまでも、低く評価し)、諸個人が全世界の中で世界標準にしたがって行動することを求める。他方、本来ナショナリズム(国民主義)や愛国主義は、諸個人が国民国家に帰属することの価値を称揚する。このように考えるならば、両者は鋭く矛盾するはずである。
 ところが、現在のわが国でもそうであり、外国でも例に事欠かないが、同じ社会的、経済的、政治的グループ(またはそれに所属すると意識している人々)が両者を称揚することがしばしばみられる。もっとも、この場合も、同じ人が同じ場所、同じ時間に両者を主張することはない。そのような場合には、それを聞いた人たちが矛盾を感じ、内省をはじめてしまう危険性があるからである。あくまで、両者は別々に行わなければならない。

 だが、このケースは、泣き事と脅しのケースと異なって、相反度・矛盾度がきわめて高いように見えるかもしれない。なにしろ、それらの本来的な主張に照らせば、国民または国民国家という価値を高く見るか、低く見るかという相違があるからである。

 だが、よく検討すると、これらの典型的に保守的なグループの人々の掲げるナショナリズム・愛国主義には、国民=国民共同体=国民国家という価値の称揚が含まれていないことがほとんどのケースである。むしろ、ほとんどのケースでは、ナショナリズムとされているものは、人々を一つの政治的目標に導くための、そこに人々を動員するための方策にすぎない。
 研究史上、そのことをアメリカ合衆国で(たぶん)最初に本格的に指摘したのは、アメリカの優れた経済学者であったソースティン・ヴェブレンである。彼は、著書『不在所有権と営利企業 アメリカのケース』*で、アメリカの不在所有権者(大企業者)たちが自分たちの営利(不在所有権)の拡大のために愛国主義・ナショナリズムの名の下に人々を導いていったかを実証している。
 *Absentee ownership and business enterprise in recent times: The case of America, 1923.

 日本では、丸山真男氏*が戦後、日本のナショナリズムについていくつかの論文を書き、その中で、他のアジア諸国ではナショナリズムが民族統合と(植民地主義からの)民族解放のためのエネルギーとなりえたのに対して、明治維新後の日本の場合には、ナショナリズムは人々(国民)を政治的に支配し、特定の政治的・軍事的目的に従属させるためのイデオロギーにしかならなかったことを示している。
 *『丸山真男集』岩波書店、第5巻、第9巻。

 結論すれば、グローバル化とナショナリズム・愛国主義の主張の根は、一つである。それはヴェブレンがすでに20世紀初頭に指摘していたように、諸個人(企業の従業員をはじめとする大衆)を大企業に対する滅私奉公に動員させるための「徳目」を説くものである。
 
 現今の日本では、現政権がさかんに「教育勅語」を持ち上げ、その徳目を称揚しようとしている。しかし、この勅語で説かれているのは、親(父母)孝行、兄弟愛、夫婦相和など、あえて勅語に頼らずとも、常識的に考えられているものである。だが、勅語の最後には、「一旦緩急アレハ義勇公ニ奉シ」と書かれている。
 いわゆる日本の愛国主義者が教育勅語にこだわるのはこれに他ならない。つまり「臣民」=天皇の臣下として滅私奉公し、例えば戦争になったら天皇のために命をささげ、天皇に忠義をつくす、これである。ここには、国民という価値(国民国家への帰属)の称揚ではなく、諸個人を滅私奉公に誘導するための「徳目」が記されていることは明白である。

 蛇足ながら付け加えておく。いわゆる愛国主義者は、国民やその個々の帰属者(個人)の価値を否定することによってその反対物に転化する。諸個人の生命や健康、人権を奪い、人々の利益(広い意味での国益)を損なうのである。その具体例は、枚挙にいとまないので、時間をみつけて書くこととしよう。
 

憲法に反する「教育勅語」 菅官房長官の妄語を切る

 昨日(4月4日)の記者会見で、菅官房長官は、「憲法や教育基本法に反しない適切な配慮の下で(教育の教材として)取り扱うことまで、あえて否定すべきでない」と述べた。

 しかし、教育勅語がまさに戦後の日本国憲法に反することは、まったく明らかである。
 その理由は下段に記すが、上の発言はまさに安倍政権がどのような体質を持つ政権であるかをよく示している。

 教育勅語とは何であり、またなぜ戦後の憲法に反するのか?
 それを理解するためには、明治憲法と教育勅語の成立について知る必要がある。

 ごく簡単に言えば、1889年(明治22年)に公布された明治憲法(大日本帝国憲法)には、一方で立憲君主制的性格を持っていたが、それと同時に君主(天皇)の身位についての特別の性格(神聖不可侵性)を規定していた。第三条は、「天皇は神聖にして侵すべからず」と述べている。この規定は、プロイセン王国憲法第43条「国王の身位は侵すことができない」(Die Person des Koenigs ist unverletzlich)を原形とするものだったと考えられている。しかし、プロイセン憲法では、国王の身位だけでなく、「信書の秘密」「所有権」「住居」などの人々の権利も「侵すことができない」(unverletzlich)とされていた。
 そもそも憲法とは、国家(権力)の行為を規定するものであり、そこに侵すことのできない人々の権利が明記されているということは、国家権力(政府)が人々の権利を恣意的に奪うことができないように縛るものである。
 ところが、明治憲法では、天皇の身位は「神聖不可侵」(sacred and inviolable)であったのに対して、国民の諸権利(第22条~30条)は「侵さるることなし」(inviolate)とかるく言及されてた。これは、明治憲法体制が立憲君主制の外観をとりながら、超立憲君主制の性格を色濃く持っていたことを示す。だが、明治憲法の中では、この超立憲君主的性格は明確になしえなかった。(以上、三谷太一郎『日本の近代とな何であったか』岩波新書を参照。)
  
 このことは、明治22年6月22日に枢密院における大日本帝国憲法草案の審議で「臣民の権利義務」について伊藤博文と森有礼との間で行われた議論に伺うことができる。

森有礼(文部大臣)
「本章(草案第二章)の臣民権利義務を改めて臣民の分際と修正せん。今其理由を略述すれば、権利義務なる字は、法律に於ては記載すべきものなれども、憲法には之を記載すること頗る穏当ならざるが如し。何となれば、臣民とは英語にて『サブゼクト』(subject)と云うものにして、天皇に対するの語なり。臣民は天皇に対しては独り分限を有し、責任を有するものにして、権利にあらざるなり。故に憲法の如き重大なる法典には、只人民の天皇に対する分際を書くのみて足るものにして、其他の事を記載するの要用なし。・・・分際とは『レスポンシビリテー』、即ち責任なり。分のみて可なり。」(カタカナをひらがなに直す。)

伊藤博文(枢密院議長)
「森の説は憲法及国法学に退去を命じたるの説と云ふべし。抑憲法を創設するの精神は、第一君権を制限し、第二臣民の權利を保護するにあり。故に若し憲法に於て臣民の権理を列記せず、只責任のみを記載せば、憲法を設くるの必要なし。又如何なる国と雖も、臣民の権理を保護せず、又君主権を制限せざるときには、臣民には無限の責任あり、君主にあ無限の権力あり。是れ之を称して君主専制国と云ふ。故に君主権を制限し、又臣民に如何なる義務を有し、如何なる権理を有す、と憲法に列記して、始て憲法の骨子備はるものなり。」

 いずれにせよ、明治憲法の条文では、天皇の超立憲君主制的性格は明確に規定できず、それゆえにここから憲法外に「神聖不可侵性」を体現する天皇の超立憲主義的積極的に明示しようとする動きが現れてくることになる。

 ここでは教育勅語の成立過程については、一切割愛するが、1890年(明治23年)10月に発布される。しかし、立憲主義の建前をとる明治憲法の第28条)が規定する「信教の自由」と、精神的・道徳的立法者としての天皇という思想をどのように両立させるかは、それほど簡単なことではなかった。教育勅語制定のイニシアティヴをとった井上毅は、結局、「今日の立憲制に従えば、君主は臣民の良心の自由に干渉しない。今、勅諭を発して教育の方向を指し示すには、政治上の命令と区別して、社会上の君主の著作広告と看なして行う以外にない」と述べ、そのように実施する。

 こうして国務大臣の副署もなく成立した教育勅語は、立憲君主制の原則に拘束されない絶対的規範として定着する。

 それから56年後の1946年10月8日、文部省は学校における教育勅語奉読の廃止と詔書の神格化を通達し、また1948年6月19日、衆参両院は教育勅語の失効を確認し、それらを排除する嫌疑を成立させた。

 ここでいくつかの点をはっきりさせておこう。
 1.以上に示したように、教育勅語は、天皇の神聖不可侵性と精神的立法者という反立憲主義思想にもとづく超立憲主義体制を支えるものであり、明治の立憲君主制体制とさえ齟齬をきたしていた。
 2.現行の憲法では、天皇は「国民統合の象徴」となっており、したがって現行の日本の政体は民主制であり、決して立憲君主制ではない。だが、教育勅語は、国民を「臣民」(subjects)、つまり天皇の臣下と把握しており(これは上記の森・伊藤の議論にも明白に示されている)、戦後の民主憲法に真っ向から対立している。
 3.マスコミ等では、ときおり「教育勅語にはいいことも書いてある」と発言する人もいる。たしかに親孝行、兄弟愛、夫婦相和、学業などだけを読めばそうかもしれない。 しかし、そんなことは教育勅語に終わるまでもない。またそもそも道徳(モラル)とは、人々の中に自然に生まれるものであり、神聖不可侵な君主から義務として強要されるものではない。しかも、「一旦緩急アレハ義勇公ニ奉シ以テ天壤無窮ノ皇運ヲ扶翼スヘシ」とあり、まさにこれが大問題である。
  「国民、人々の命を大切にしよう」では決してなく、むしろ「滅私奉公せよ」、これが教育勅語のメッセージに他ならない。 

 以下に「教育勅語」を転載しておこう。
 
朕惟フニ我カ皇祖皇宗國ヲ肇ムルコト宏遠ニ德ヲ樹ツルコト深厚ナリ

我カ臣民克ク忠ニ克ク孝ニ億兆心ヲ一ニシテ世世厥ノ美ヲ濟セルハ
此レ我カ國體ノ精華ニシテ教育ノ淵源亦實ニ此ニ存ス
爾臣民父母ニ孝ニ兄弟ニ友ニ夫婦相和シ朋友相信シ恭儉己レヲ持シ
博愛衆ニ及ホシ學ヲ修メ業ヲ習ヒ以テ智能ヲ啓發シ德器ヲ成就シ
進テ公益ヲ廣メ世務ヲ開キ常ニ國憲ヲ重シ國法ニ遵ヒ
一旦緩急アレハ義勇公ニ奉シ以テ天壤無窮ノ皇運ヲ扶翼スヘシ
是ノ如キハ獨リ朕カ忠良ノ臣民タルノミナラス
又以テ爾祖先ノ遺風ヲ顯彰スルニ足ラン
斯ノ道ハ實ニ我カ皇祖皇宗ノ遺訓ニシテ子孫臣民ノ倶ニ遵守スヘキ所
之ヲ古今ニ通シテ謬ラス之ヲ中外ニ施シテ悖ラス
朕爾臣民ト倶ニ拳々服膺シテ咸其德ヲ一ニセンコトヲ庶幾フ

明治二十三年十月三十日

 

 
 

2017年2月15日水曜日

分断社会・日本 なぜ私たちは引き裂かれるのか(井出英策、松沢裕策、岩波ブックレット、952)

1970~80年代までの日本社会は、そこそこの平等主義国家の上に成立していた。不平等は存在しており、それ自体として問題ではあったのだが、日本社会の一部であり、多くの人の眼につかなかった。
しかし、1990年代初頭に1980年代末の真性バブルが崩壊し、金融危機が始まり、長期の平成不況に陥り、その後も1997年の橋本財政構造改革期の金融危機の再発と、非正規雇用の拡大による(名目・実質)賃金水準の持続的低下、2001年の小泉構造改革にともなう再度の金融危機再発と賃金の低下持続、政府財政赤字の拡大と政府債務の大幅増加、減税・公共事業による景気浮揚策の不調、誰の眼にも明らかとなってきた少子化・生産年齢人口の減少、高齢者の増加などの一連の事象・問題のなかで、人々の心にも大きな変化が生じてきた。
所得格差が拡大し、人々が分断される中で、しかし、多くの人々は必ずしも、それがなぜ生じてきたのか、という根本原因を見ようとはしない。
歴史的に見ても、こうしたことは現在の日本だけの現象ではなく、かつて他の地域でも見られたことであった。その最もよく知られている例は、1930年代のナチスによるユダヤ人の殺戮である。そこに見られるのは、むしろ多くの人は反知性主義の方向に走り、もっと力の弱い少数派をスケープゴートとする方向に走る傾向があるということであろう。

井出英策、松沢裕策氏の『分断社会・日本 なぜ私たちは引き裂かれるのか』(岩波ブックレット、No. 952)は、その状況を次のように説得的に描いている。

平等主義国家は消えた。多くのひとびとにとって、働くことは苦痛でしかなくなり、勤労の先に待ち構えるのは、貧困のリスクであった。通俗道徳(*)は労働者にとって精神的な負荷となり、努力の果てに没落するひとびとの悲鳴が社会を切り裂こうとしている。「獣の世」の再来である。
 *勤労、倹約、謙譲、孝行などを徳目とする道徳のこと。

 いまの日本社会は、通俗道徳の実践にエネルギーを費やした、多くの失敗者で溢れている。過酷な競争社会に疲れ、就労の苦痛のなかで日々の生活に耐えるひとびとは、働かずに収入を得る生活保護受給者を非難する。没落の危機に怯える中間層も含め、生活に不安を覚えるひとびと、政治やマスメディアに利害を代弁してもらえないことに不満を持つひとびとは、反知性主義的な言説を支持し、急速に排外主義化した。鳴り止むことのない公務員バッシングの一方で、親がわが子に公務員になることを希望するさまは、滑稽でさえある。
 いまや、メディアを覆い尽くすのは、白分よりも弱いものを叩きのめす「袋叩きの政治」であり、強者への嫉妬、「ルサンチマン」である。そして、社会的な価値の共有の難しさが連帯の危機を生み、地方誘導型の利益分配も機能不全に陥るなか、不可避的に強められるしかない租税抵抗が、財政危機からの脱出を難しくしている。「獣の世」としての明治社会は、まさに今口の「分断社会の原風景」だったのである。
 近代化が進められたプロセスにあって、わたしたちは、既存の秩序が綻びを見せるたびに、繰り返しこの原風景へと立ち返ってきた。世界史的な人口縮減期に入り、持続的な経済成長が前提とできない時代、いわば近代白体か終焉と向かう時代がわたしたちの眼の前に広がっている。
わたしたちは、新しい秩序や価値を創造し、痛みや喜びを共有することを促すような什組みを作りだすことができるだろうか。あるいは、経済的失敗が道徳的失敗と直結する社会を維持し、叶わぬ成長を追いもとめては、失敗者を断罪する社会をふたたび強化するのだろうか。明治維新から約150年。これからの150年のあり方がいま問われている。

 
ちなみに、排外主義化について言えば、ことの発端の一つは、石原慎太郎元東京都知事にあることは、私がここで言うまでもないだろう。そもそも尖閣問題は、日中国交回復時にも日中(田中角栄・周恩来)間で、微妙な問題であり、明示化すると日中相互の国民を激することになるがゆえに、棚上げにしようとされていた問題であった。ところが、極右の石原慎太郎元都知事が意図的に尖閣問題をほじくり出し、日中間の対立(排外主義)をあおることになった。そもそも、それが石原氏の意図であったことは明白であろう。
また安倍政権の戦争法にもきわめて大きな反対があったが(またいまでもあるが)、その反対意見を押さえ込む上で、上の文章にいう「排外主義化」の言説の一定の強さがあることも間違いないであろう。

しかし、排外主義やルサンチマン(強者への嫉妬、自分より弱いと思うものをたたきのめす心情)が問題を解決することはない。それによって自分たちの不安が解消し、問題が解消するわけでは決してないからである。




2017年2月12日日曜日

トランプ・安倍会談の印象

 今朝のテレビを観、新聞を読んで思う。 
 難民の受け入れをめぐる大統領令をめぐって、アメリカ合衆国の内外で批判を浴び、満身創痍となっているトランプ大統領。そこに遠方の東洋から唯一人理解を寄せており、就任前から愛想を振りまいていた「極右」(far-right)の政治家、トランプの友人になりたいと思っている人物がにじりよって来た。とりあえず、ここは喧嘩しないでおこう。喧嘩はあとでまたいつでもできる。
 今回の首脳会談の印象はざっとこんなところだろうか。

 通訳なしで二人でゴルフをしているときにどんな内容の会話をしたかは分からないが、またおそらく今後ともずっと分からないだろうが、TPPと日米FTA、自動車、米軍駐留経費負担、為替相場などは、今後、しばらくして出てくるようだ。
 この件に関する本ブログも、またそのときにしよう。


 

2017年2月10日金曜日

日本・ドイツ・イタリア・スペイン・韓国などの激しい人口減少: なぜか?


 本ブログでも、ずっと前に合計特殊出生率(fertility)、つまり平均して一人の女性が一生の間に出生する子供の数が2またはそれに近い水準を維持している地域・国(アメリカ合衆国、イギリス、フランス、スカンジナビア諸国、ロシアなど)と、それよりもかなり低く、例えば1.3またはそれに近い地域・国(ドイツ、イタリア、スペイン、東欧諸国、日本、韓国など)に分化していることを、紹介した。

 もちろん、次のことは多くの人が知っていることであるが、歴史的に見ると、近現代にほとんどの地域・国で人口転換が生じたか、または生じつつあり、それによって多産多死から多産少死を経て少産少死にいたる転換が生じ、この過程でいったん人口が急激に増加する時期を経て安定する時期に至る。
 しかし、この人口転換を経た地域や国で、合計特殊出生率が2を維持していれば、長期にわたって人口は維持されるが、もし1.3~1.5の水準が今後とも長期にわたって続けば、人口が、そして労働年齢人口が急速に減少していくことは確実である。たしかこのままでは2000年後の日本の人口が50人になるいう推計もあるらしい。

 では、どうしてこうした合計特殊出生率の低下(少子化)が生じたのであろうか?
 日本の合計特殊出生率は、第一次ベビーブーム(1947年~49年)までは4を超えていたが(多産少死)、その後、急速に低下し、1960年代前半には2を割り込み、その後、第二次ベビーブーム(1971年~1974年)に2.16に上昇したものの、それ以降は一貫した低下過程に入っている。2005年からは人口減少が始まっている。

 問題は、このような国際的に見ても顕著な合計特殊出生率の低下がなぜ生じ、継続しているのか、という点にある。
 なるほど論者によっては、合計特殊出生率が低下しても何ら問題ではないという人もおり、その議論にも一理ないではない。また子をもうける/もうけないは人の生き方にかかっており、「選択の自由」と密接にかかわっている。しかし、高齢者人口に比して労働年齢人口があまりに急激に縮小すれば正常な経済社会の維持・運営に支障をきたすことも否定できないだろう。
 
 そもそも合計特殊出生率の低下はどのような原因によるものなのであろうか?
 出生は、結婚する人の数と結婚した人の子どもの数の2要因によって決まるが、一連の調査の示すところでは、このうち1970年代に始まる「晩婚化」、さらには「非婚化」が生じてきているようである。若い時代に結婚の機会を逃すと、結婚の機会をつかむことが難しいことも分かっている。社会学的調査を待たなくても、私の周囲の人々を観察していれば、そのことはよく理解できる。また多くの人もそれを実感しているだろう。

 では、こうした晩婚化や非婚化を促すものはなんであろうか? それには、経済発展を遂げた地域・国に一般的に見られる要因、一言をもってすれば、経済発展が女性の自立を促進するという事柄をあげることができる。もちろん、それは否定するべきことではない。
 だが、問題は、そのような一般的な要因ではなく、結婚することを妨げたり、子どもを持ちたくても持てないという社会的要因(障害)があるのではないかと疑われることにある。

 石水嘉夫氏(下記文献)は、それを次のように整理しており、きわめて説得的なので、ここでもそれにしたがって、紹介しておこう。

 1.1990年代にバブルが崩壊し、長い平成不況にはいったときは、1970年代生まれの第二次ベビーブーマー世代が学校を卒業し、就職する時期に重なっていたが、厳しい若年失業問題が生じ、パート、アルバイト、派遣労働などの不安定就業が若年層に広まった。
 (これは、私が勤務していた大学でも、卒業をひかえた四年生が厳しい就活を行っていたことからも理解できる。)
 2.長時間労働による仕事と生活のバランスの崩れ。
 (これには、結婚後のとも働き夫婦の勤務地が離れているという問題も含まれよう。)
 3.育児・教育に対する不安、社会的インフラの欠如・不足
 (夫婦の親に依存するケースが多いが、誰もがいつも依存できるわけではない。)
 
 また1995年に日経連が「新時代の「日本的経営」」なるものを発表し、日本型雇用システムの見直しを掲げたことも大きな影響を与えたと思われる。それは正規以外の雇用形態を積極的に活用し、企業にとって効率のよい雇用形態を採用することを提言した。しかし、これが若者の職業的自立を困難にした。
 また1997年以降、実際に、非正規雇用の活用と、正規雇用の賃金抑制(安易な業績・成果主義賃金の導入によって)日本における貨幣賃金が引き下げられてきた。しかし、ケインズが示した通り、「合成の誤謬」が作用した。つまり、個別企業にとってどんなに効率がよくても、社会全体では、国民大衆の総所得が減少し、消費需要は抑制される。その結果、多くの企業は景気の悪化に苦しむことになった。
 そして、例によって景気が悪化すると「重商主義」の思想が頭をもたげる。国内需要が望めなければ、外需=輸出拡大をというわけである。そこで、円安待望論が国民的な議論となる。だが、もし為替相場が一定ならば、輸出拡大のためには生産費、つまり人件費=賃金を引き下げる必要がある。
 より一般的に表現すると、グローバル化の環境の中で、企業の生産条件を改善するために「構造改革」が必要であり、労働市場のさらなる柔軟化が必要であるという主張が叫ばれた。しかし、それはいっそうの長時間労働、低賃金をもたらし、若者の労働条件を悪化させ、人口減少を促すさらなる原因となった。

 まったくその通りだと、私は考える。また思うに、人や社会は、困難に陥ったとき、必ずしもそこから抜け出すためのよい思想を実施に移すとは限らない。むしろ反対に困難を増幅する方向にむかって進むこともしばしばである。
 新古典派経済学の本質的な思想、つまり<生産側(企業)の条件を改善さえすれば、経済はうまくゆく。なぜならば供給はそれみずからの需要を生み出すからである>という思想は、もちろん最新のものではない。それは19世紀に生まれた、きわめて古めかしい骨董品である。
 だからケインズが次ぎように述べたとき、かれは正しかったといわなければならない。「早晩、良くも悪しくも、危険になるのは、既得権益ではなく、思想である」、と。われわれはこの思想の呪縛からいつ逃れられるのであろうか?
 
文献)石水嘉夫『ポスト構造改革の経済思想』、新評論、2009年4月10日。

マルクスの時代の経済とマルクス経済学、ケインズの時代とケインズ経済学、現代は?

 マルクスは、「ルイ・ボナパルトのブリュメール18日」の中で、歴史について次のように語っている。

  人間は、自分で自分の歴史をつくる。しかし、自由自在に、自分で勝手に選んだ状況
 のもとで歴史をつるくのではなく、直接にありあわせる、与えられた、過去から受け継
 いだ状況のもとでつくるのである。

 私も、まさにその通りと思う。人が生きている状況は、自分が選んだものではなく、好むと好まざるとにかかわらず、所与の前提として与えられている。このことは、人をとりまく思想的。精神的状況についても同様である。そこで、マルクスは、次のように続ける。

  あらゆる死んだ世代の伝統が、生きている人間の頭のうえに悪夢のようにのしかかっ
 てくる。そこで、人間は自分自身と事物とを変革する仕事、これまでにまだなかったも
 のをつくりだす仕事にたずさわっているように見えるちょうどそのときに、まさにそう
 いう革命的危機の時代に、気づわしげに過去の亡霊を呼び出して自分の用事をさせ、そ
 の名前や、戦いの合言葉や、衣装を借りうけて、そういう由緒ある衣装をつけ、そうい
 う借り物のせりふをつかって、世界史の新しい場面を演じるのである。

 ケインズもまた、これとは少し違う文脈の中ではあるが、過去の思想の役割に言及している。1936年の『雇用、利子および貨幣の一般理論』の最後の段落は、次のように述べている。

 だが現代のこのような気分を別としても、経済学者や政治哲学者の思想は、それらが正しい場合も誤っている場合も、通常考えられている以上に強力である。実際、世界を支配しているのはまずこれ以外のものではない。誰の知的影響も受けていないと信じている実務家でさえ、誰かしら過去の経済学者の奴隷であるのが通例である。虚空の声を聞く権力の座の狂人も、数年前のある学者先生から狂気を抽き出している。既得権益の力は思想のもつじわじわとした浸透力に比べたらとてつもなく誇張されている、と私は思う。思想というものは、実際には、直ちに人を虜にするものではない、ある期間を経てはじめて人に浸透していくものである。(中略)だが、早晩、良くも悪しくも危険になるのは、既得権益ではなく、思想である。

 さて、マルクスは、1818年から1883年までの65年を生きた人であり、ケインズは、マルクス没年の1883年から1946年の63年を生きたひとである。
 もちろん二人とも偉大な経済学者であるが、しかし、二人とも第二次世界大戦後の資本主義世界を知らないことは言うまでもない。だが、この間に現代の経済社会はきわめて大きく変化した。したがって、マルクスの経済学もケインズの経済学も、資本主義経済(起業者経済)の運動を説明する基本的理論としていまだに多くの点で有効であるとしても、一方で、現在の経済を説明する理論としてある種の修正を要することは間違いないであろう。一体、19世紀前半から20世紀前半の百数十年間に資本主義経済はどのように変化したのだろうか?

 ここでは、二つの点にのみ即して外観してみよう。その二つの点というのは、ケインズの『一般理論』最終章「一般理論の誘う社会哲学ーー結語的覚書」がさし示している事柄である。あえてケインズ自身の言葉をあげておこう。

  われわれが生活している経済社会の際立った欠陥は、それが完全雇用を与えることが
 できないこと、そして富と所得の分配が恣意的で不公平なことである。これまで論じて
 きた理論がこれら第一のものと関係していることは言うまでもない。しかし、この理論
 は第二のものとも二つの重要な側面で関係を持っている。

 この二つは、まったく同一視することができないとしても、マルクス自身も問題としてきた事柄である。労働者の資本への従属の自由(!)は、人々に完全雇用を与えてはいないし、むしろ巨大な「産業予備軍」を形成してきた。また近代における巨大な生産力の解放は、人々(労働者)の所得の上昇と生活水準の向上に寄与せず、むしろ資本の蓄積と集中に寄与してきた。

 現在まで続けられてきた近代欧米経済史の実証研究も、ほぼこのことを実証してきた。これまでも本ブログで紹介してきたが、簡単に言えば、そこには一貫して次のような強い傾向が見られた。

 1 設備投資による生産力の解放、労働生産性の上昇
 産業革命の時期以降に行われるようになった企業の設備投資は、巨大で高額な機械(紡績機、織機、機械をつくる機械など)を生産に導入し、社会全体の労働生産性を上昇させ、また労働者一人一人の労働生産性を大幅に引きあげた。こうした機械生産の量的拡大と、労働生産性の上昇は、他面では、化石燃料(石炭、石油、天然ガスなど)の採掘とその燃焼が放出する巨大なエネルギーによるものであり、これなしでは、産業革命は成就しなかった。したがって産業革命は、機械製造、化石エネルギーの採掘、製鉄、炭鉱業などの一連の技術革新と結びついていた。

 2 企業者経済の形成と設備投資
 しかし、それは社会の大きな制度的変質をもたらさずには成就しないものでもあった。それは、一言で言えば、かなり大きな企業が形成され、それと同時にそれを所有し、経営する(manage)一握りの階級を生み出すとともに、それらによって雇用され、生産のための労働を指示される多数の人々(労働者)を生み出した。企業、すなわちマルクスのいう「資本」(産業資本)は、初発にはそれほど巨大なものではなく、せいぜい100~300人程度の従業員を雇うにすぎず、現代の小企業ほどのものにすぎなかったが、それはそれ以前の手工業経営体が「家内的」であり、親方や職人の「家」(households)の規模を大きく超えなかったのと比べれば、拡大の大規模化を意味した。しかも、もはや19世紀末にともなれば資本の蓄積と集積の作用によって、一万人以上を雇う巨大企業(big business)も登場していた。もちろん、企業の巨大化は、その組織の内部的複雑化をともなっていた。

 3 企業と社会全体における所得分配の傾向
 19世紀および20世紀初頭には、まだ戦後のような発展した経済統計制度が整備されていなかったので、多くの側面が漠然としたままである。しかし、いくつかの点はかなりはっきりしている。
 その一つは、労働生産性の上昇率に比べて、貨幣賃金と(あとで触れる実質賃金)の上昇率がかなり低かったことである。当時は、例えばケインズが概算しているように、人口=労働力が毎年1%ほど増え、労働生産性が毎年1%ほどづつ上昇していたので、国民粗生産GDPは、毎年2%ずつ成長していたが、GDPを構成する二つの大きい要素(利潤と賃金)のうち、利潤(資本所有または経営者所得をなす資本所得)が2%を大きく超えるペースで成長したのに対して、賃金所得は2%を大きくしたまわる成長率しか示さなかった。
 これが何を意味しているかは、明白である。国民粗所得に占める利潤のシェアー(R/Y)が増加し、逆に賃金のシェアー(W/Y)が低下したのである。いうまでもなく、各シェアーの合計は一定(=1)であり、一方の上昇は、他方の低下を意味する。
 
 R/Y + W/Y =Y/Y=1
  上昇   低下   一定
 
 ところで、これが一国の経済社会全体に与える作用は、かなり明白である。
 当時(つまり、19世紀初頭から第一次世界大戦以前)は、今も同様であるが、利潤の一部は、(富裕な資本所得者の)消費に支出されたが、その多くは設備投資のために支出された。そして、当時の古典派経済学および新古典派経済学では、資本所得者が労働者よりはるかに多額の所得を得ることは、かれらが投資(資本蓄積)を行い、社会全体の富(生産量)を増やすことによって、正当化されていた。
 
 だが、ここにはきわめて大きい問題が介在していた。
 第一に、一方では、有効需要のうち消費支出=消費需要は、経済成長率に比べて、また利潤所得の成長率に比べて、抑制される傾向にあった。それは基本的には賃金所得が大きく抑制されていたことによって説明される。しかし、他方では、利潤はかなりのペースで成長した。そこで、もしそれが国内に(設備)投資されるならば、それは国内生産力および労働者一人一人の労働生産性をかなりのペースで拡大させることとなった。これを個別資本=企業の立場から示すと、一方では、企業の生産能力を拡大するために、巨費を投じており、したがって固定資本費用を回収するためには、売上量=販売量を大きく伸ばさなければならないのに、そうはならない、ということになる。また別の表現をすれば、巨額の設備投資は、損益分岐点を大きく右側に移動させるが、消費需要の増加の抑制のために、売上量ははかばかしく右側に移動しない、ということになる。
 
 いま一つは、労働生産性のハイペースの上昇と、有効需要の成長ペースの停滞=実際の生産量の停滞は、職に大きく左右する、ことである。以前の本ブログで詳しく説明したので、繰り返しは避けるが、職=雇用は、生産量(有効需要)の増加関数(+)であり、労働生産性の減少関数(-)である。つまり、労働生産性が一定ならば、生産量が増えるほど職=雇用は増加し、また生産量が一定ならば、労働生産性が高いほど生産に必要な労働時間、つまり職=雇用は減少する。
 これは、20世紀初頭までの、経済変動がきわめて失業をもたらしやすい所得分配構造にあったことを示している。
     U=LーN   
                          +  ー
     N=f(Q、 λ)
          ー  +
     U=g(Q、 λ)
       U:失業、 L:労働供給、  N:労働需要=職・雇用、
       Q:生産量、 λ:労働生産性

 かくして19世紀から20世紀初頭の経済のありかたは、富と所得の不平等、失業の拡大のメカニズムを内側に含んでいたということができる。これは、1930年代の米国におけるニューディル以降、とりわけ第二次世界大戦後のいわゆる「資本主義の黄金時代」における修正された資本主義経済のありかたとは、根本的に異なる点である。
 ともあれ、経済を均衡させるための国内需要をつくりだすことに失敗した資本主義各国は、「(新)重商主義」あるいは「隣人窮乏化政策」、「帝国主義」と呼ばれる対外経済政策に乗り出した。それは国内で有効需要が不足しているために、外国に輸出を増やして、内需不足を補うという政策である。

 マルクスにより資本主義経済の「外部からの」根本的な批判と、ついでケインズによる「内在的な」批判は、少なくともしばらくのあいだ(つまり1945年の終戦から1970年代初頭までの「黄金時代」には)、上に記した資本主義経済のありかたを変えることに成功した。
 
 ちなみに、ケインズの当時の資本主義に対する批判は、それが金融資産のバブル(泡沫)化によってキャピタルゲインを得ることを目標とする金融資本主義に堕す傾向を多分に持つということにあった。実際、1930年代の大不況は、1920年代末に米国で発生した金融資産バブルが崩壊し、金融クラッシュが生じたことをきっかけとしていた。しかも、当時は、失業保険制度も、最低賃金制もなく、公的医療保険制度もなく、年金制度もなく、多くの人々は、金融恐慌と景気後退、失業の発生を眼前にして、不安を増幅し、将来に備えるために貯蓄を増やそうとして、いっそう消費支出を削減したが、それは不況をさらに深刻なものとした。

 戦後の「黄金時代」は、これらの19世紀的な資本主義の制度の不備を修正することによって生まれたものである。そして、それは1980年代のレーガノミクスとサッチャー主義の「新自由主義」によって大幅に破壊されてきたといはいえ、今でも完全に破壊されつくしたわけではない。現在の経済がおおきな金融崩壊や大不況の脅威という不安にさらされても、それほどひどい経済状態におちいらないのは、そのせいである。

 しかし、それでも、1970年代以前と1980年代以降の経済制度には、大きな相違があるといわなければならない。1980年代以降にわれわれが経験した事柄は、下記のいくつかの項目になる。それは1970年代以前の「黄金時代」との著しい対照をなす。
 その結果は、「完全な」とは言えないが、かなりの程度までの19世紀的状態への後退である。つまり、フラットな租税制度への回帰、ふたたび利潤シェアーの上昇/賃金シェアーの拡大、富と所得の不平等、失業率の上昇/職・雇用の劣悪化、金融資産バブルと金融崩壊、いくつかの国における重商主義の復活などである。

 1 租税制度による所得再分配の大幅な縮小
    所得税の累進課税のフラット化、企業負担の軽減
 2 労働市場の柔軟化
    失業保険制度の脆弱化、実質最低賃金の引き下げ、政府の完全雇用政策の放棄
    総じて労働者の対抗力の低下
 3 重商主義政策の復活
    ブレトンウッズの崩壊、変動相場制、グローバル不均衡の拡大
 4 人口(労働力)の増加率の低下、いくつかの国の労働力人口の減少      
 
 だが、この最後の2つの点については、少し詳しく説明しなければならないかもしれず、すでに本ブログでも以前少し論じたことがある。
 その要点は、次の通りである。
 
 かりに一人あたり1%の経済成長率(消費の増加など)が求められるとしよう。この時、人口が毎年1%ずつ増加する社会であれば、それは2%のGDPの増加をもたらすであろう。しかし、もし人口がまったく増えない社会では、GDPの年増加率は1%となり、またもし人口が毎年1%ずつ減少する社会では、GDPの総額が維持されるにとどまり、成長率はゼロである。一人あたり2%の経済成長率が求められる社会でも、数値が若干変化するだけであり、事情はほぼ同じである(数値はそれぞれ、3%、2%、1%)。

 しかし、GDPが成長しないこと自体がすぐに大きな問題となるわけではない。
 もし問題となるとしたら、それは次のようなケースである。いま企業(その株主や経営者)がGDPが増えないから利潤も増えないことに甘んじるのではなく、利潤をより増やそう戸考えたと想定する。この場合、個別企業ではなく、社会全体の企業がそのように考え、そのように行動したとしよう。そのような企業の行動は、賃金を圧縮することによってしか実現されない。だが、賃金圧縮がどのような帰結をもたらしたのか? それは上記の19世紀の事例が示す通りである。
 個別企業が自分の企業だけは激烈な競争に勝ち抜くためにといって、設備投資を行い、労働生産性を引きあげ、経済効率を高めた場合はどうか? 一社、もしくはごく一部の企業ならその企業が勝利するということになろう。だが、社会全体の企業が同じように行動した場合には、社会全体の投資費用は増え、労働生産性は上昇し、損益分液点は大きく右に移動する。だが消費重要は増えないため、生産は停滞し、(人口停滞の中でも)職・雇用はいっそう縮小する危険性が高まる。
 
 私たちのあげた事例(数値例)は単純だが、ケインズが1930年代に近い将来生じるであろうヨーロッパの人口停滞・減少に際して起こるかもしれないこととして考えたことも、本質的には、同じことである。このケインズの予想は、すぐには実現されなかったが、現在、ドイツやイタリア、スペイン、(ロシアを除く)多くの東欧・中央地域でも生じている。東アジアでは、日本、韓国、(そしておそらく中国)が経験しはじめている。
 
 かりに基礎理論は普遍的に妥当するとしても、制度および経済の様々な与件が変われば、異なった結果が生まれる。現実離れした想定にもとづく「新古典派経済学」の現実離れした「思想」(idea)にとりつかれて、単にマルクス、ケインズが古いと批判する人がいまだに多いのは、困ったことである。もちろん、逆に制度や与件の変化を認識することなく、マルクス、ケインズがある時、ある事柄について述べたことを機会的に適用しようとすることが如何にミスリーディングなことであるかも、知らなければならないだろう。