2013年1月27日日曜日

安倍のミックスを経済学する その2

 2番目の論点に移ります。つまり、中央銀行は貨幣量を裁量的に(外生的に)決めることができるか否か、という問題です。
 この点について、貨幣数量説論者はそれが可能だと考えていることは既に(その1で)説明しました。しかし、①仮に中央銀行が市中銀行に対する貨幣供給量(マネタリーベース。日銀当座預金と発行日銀券)を増やすことができるとしても、それと、②市中銀行が企業等に貸し付ける金額(M2などの貨幣ストック)を増やすこととは、直接連動していまん。そこで、貨幣数量説論者(岩田規久男、高橋洋一氏など)はどうしてそうだと考えているのかが、大きな疑問となります。
 人の頭も中をのぞいてみることができないので、想像するしかない点もありますが、大きく言えば、彼らは以下のような論理を持っていると言えるでしょう。(ちなみに、バーナンキFRB議長やマネタリストの大家、フリードマンも貨幣数量説論者であり、彼らの意見も参考にします。)

 1 ヘリコプター・マネー論
 まさかと思うかもしれませんが、かつてフリードマンもバーナンキもヘリコプターマネー論を展開しました。つまり、中央銀行がヘリコプターで中央銀行券をバラまくというものです。
 これならば、確かに中央銀行券が大量に社会に持ち込まれることになるでしょう。
 しかし、制度的にはそれは不可能事、あり得ない事です。何故かって? 中央銀行も銀行であり、貸出によってしか貨幣を供給することはできないからです。人々に中央銀行券をバラまくというのは、与えるということでしょうか、それとも返済や利払いを求めない貸付(つまり不良債権となる貸付)を与えるということでしょうか? いずれにせよ、余りに馬鹿げています。もし馬鹿げていないというのであれば、実際にやってみて欲しいものです。それにはもちろん法律も変えなければなりませんが、もしそのようなことを現実にやったら、日本は世界中から馬鹿にされるでしょう。(しかし、それが経済学の論文では許され、ノーベル記念スエーデン国立銀行賞を与えられるのですから、あきれたものです。)

 2 期待(インフレ期待など)
 さすがにまずいと思ったのでしょうか。最近の貨幣数量説論者は「期待」(expectation)を持ち出すことにしたようです。つまり、中央銀行が市中銀行に大量の通貨を供給し、マネタリーベースを増やすと、(例えば)2パーセントのインフレーションが生じると期待した人々(企業、個人と家計)が市中銀行からの貸出を求めるようになるという論理です。インフレーションを期待すると何故貨幣需要が増えると彼らは説明するのか? 最近の流行は、インフレーションが貨幣の減価をもたらし、それが消費需要の拡大をもたらし、さらに企業の投資需要をもたらすので、通貨に対する需要(つまり市中銀行の企業に対する貸出)が増えるというもののようです。
 これは人々が「合理的な期待」を持つことを前提とする議論です。ただし、合理的期待といっても、彼らの論理にとって都合のよい期待であり、本当に人々がそのような期待を持つことはありえませんない。彼らの経済学は、「風が吹けば、桶屋が儲かる」式のトンデモ経済学に他なりません。あるいは、戦時中の「竹槍精神主義」のようなものです。中央銀行がやる気を示せば、国民もそれを感じて景気回復とインフレーションを実現できると信じるようになる。ところが、日銀にやる気がないから、そうならない。白川が悪い。こんなところでしょうか。

 3 M2/マネタリーベース
 ヘリコプター・マネーも精神主義も客観的・科学的な経済学というイメージにとって都合が悪いと考える人は、もうちょっとスマートな姿勢を示そうとします。つまり、M2(市中銀行の人々への貸出=貨幣供給)とマネタリーベース(中央銀行の市中銀行への貸出)の比率が安定しているので、後者を増やせば、前者も増えるという論理を使うのです。しかし、まだ経済学を学び始めたばかりの善良な経済学部の新入生ならそれに騙されるかもしれませんが、教師の中には私のような現実世界の経済学を教える者もいるので、それが成立しないことをいつかは知ることになります。

 要約します。貨幣供給は内生的に決まります。そこで、現実世界の経済学は、それが現実の経済(による複雑な調整)の中でどのように決まるのかを、示さなければなりません。また現実の世界では、貨幣は中立的でもなく、外生的に決まるのではもないこと、言い換えれば貨幣の非中立性と内生性を理解することが重要となります。

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