2013年10月11日金曜日

トンデモ経済学 その3 フリードマン氏の理論のアホらしさ

 フリードマンの自然失業率(NRU)とは何か?
 それは本質的に新古典派の労働市場論から来ている。
 新古典派の労働市場論とは、大学の労働経済学でよく教えられている「マーシャリアン・クロス」の労働市場版である。
 それは、まず縦軸に実質賃金率、横軸に労働量をとり、次に右下がりの労働需要曲線と右上がりの労働供給曲線を書き、その交点を均衡点と考える、あの図である。
 交点(w/p、N)は、実質賃金率がw/pのとき、労働需要量=労働供給量=Nだということを示す。この時、失業は存在しない。なぜならば、失業=労働供給ー労働需要 であり、この場合には NーN=0 だからである。
 しかし、現実にはいつも失業が存在している。これはどのように説明されるのか?
 新古典派の労働市場論は、政府の労働保護立法や、労働組合の存在のために、実質沈吟率が均衡水準より高いからだと説く。この時、労働供給量(時間)が労働需要量(時間)を超過し、その差が失業(ただし、理論上、自発的失業であり、その量は時間で示される)である。
 そもそも、現実の世界では、失業は<時間>ではなく、<人>で示されるという点からしても、また失業の多くは<非自発的失業>だという点でも、上の理論はきわめて怪しいのであるが、この点は以前のブログでも示してあるので、先に進もう。
 フリードマンの自然失業率は、ここに紹介した新古典派の労働市場論を前提にして展開されている。つまり、現実の労働市場が政府の労働保護政策や労働組合などの制度的構造を持っているのに対応して、実質賃金率が均衡水準を一定度だけ超え、それに応じて失業率が定まる。それがフリードマンの自然失業率である。
 
 ここまで述べれば、賢明な読者は奇妙な点に気づくはずである。
 彼は、一方で、フィリプス曲線に関して、物価上昇=インフレを労働者の責任にするために、失業率が低いときに貨幣賃金率が大幅に上昇すると主張する。ところが、自然失業率の理論では、実質賃金率が高いときに失業率が高まると主張している。もちろん、貨幣賃金と実質賃金は異なる。しかし、上の理論を精査すれば分かるように、例えば物価水準が一定ならば、実質賃金の上下は貨幣賃金の上下と関係しており、両者は密接な関係にある。ケインズが『一般理論』で、新古典はどのようにしたら実質賃金を変えることができると考えているのかと揶揄した通りである。
 一方では、低失業と高賃金(→インフレ)の関係を語り、他方では、高失業と高賃金の関係を語る。この矛盾に彼ら自身は気づいていないのであろうか?
 もちろん、彼らの意識の中では整合的なのであろう。インフレであれ、高失業であれ、何であれ、とにかく労働者に責任がある! 
 (さらに続く)

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