2013年12月11日水曜日

E・トッド『新ヨーロッパ大全』を読む

 1992年にE・トッド氏の『新ヨーロッパ大全』(日本語訳、藤原書店、石崎晴己訳)が出版されてから20年たった。
 この書物は、ヨーロッパおよび米国(ヨーロッパ、特にイギリスからの分家)の社会(政治・経済・宗教)を語る上で、必読文献といってもよいであろう。特にアングロ・サクソン系(米英)の人々の集合心性を理解する上できわめて有益な書物ではないだろうか? 
 20世紀にこの課題に最初に本格的に挑んだヨーロッパの社会科学者は、ドイツの有名な社会科学者のマックス・ヴェーバーであった。彼の最も著名な論文「プロテスタンティズムの倫理と資本主義の「精神」」は、しばしば不正確に理解されているが、カソリシズムとプロテスタンティズムの「エートス」の相違を明らかにし、近代資本主義の成立との内面的関係という問題をある限られた視角から分析しようとしただけでなく、大陸ヨーロッパ(ドイツ人やフランス人)とドーバー海峡の向こう側にあるブリテン島の主たる住民(アングロ・サクソン民族)の心性の特徴を描こうとするするものであった。あのきわめて特徴的な人々(スコットランド人とイングランド人)はどのような土壌の上にカルヴィン派の教派を受け入れたのか、その受容が資本主義を生み出す上でどのような役割を演じたのか、彼らの文化は「われわれ」のそれとどのように異なるのか、これがヴェーバーの頭の中にあった問題に違いない。
 トッド氏の書物も、家族史、土地制度史、宗教史、政治史に関する具体的・定性的・定量的なデータにもとづき「ヨーロッパ人」を、しかも、一つのステロタイプとしてではなく、その多様性を理解しようとしたものである。彼はこの点できわめて説得的な議論を展開しているように思われる。
 彼の意見では、アングロ・サクソン系の文化は、中世以来の伝統的な家族構造・土地制度の点で、自由主義的(非権威主義的)で不平等な配分にもとづいていたと特徴づけられるといってよいだろう。おそらくイギリス社会史・経済史に詳しい人は、その意味がよく理解できるであろう。イングランドやスコットランドでは、中世から「核家族」が基本的な家族形態であった。人々は若い時期に両親の家を(奉公人などとして)離れなければならない。したがって両親との同居はきわめて少ない(自由主義)。子供は、親の高齢化とともに財産を相続するために家に戻るが、その際には、一子相続制(primogeniture)が原則であり、長男以外は親の財産を相続することはない(不平等)。遺産相続に参加できなかった兄弟たちは、奉公人(servants)として兄弟または他人の家に居候し、生活したり、村の共同地(総有地)に狭い土地を分けてもらい小屋住(cottagers)としての生活を送ることになる。これらの小屋住が17〜18世紀の共同地の囲い込み(enclosure)に際して、ジェントリー(地主)から暴力的に追放されたことは経済史の教科書に登場するのでよく知られていよう。ここで注意しなければならないことは、奉公人や小屋住たちが農民の子弟から生まれた人々であったとはいえ、決して没落した農民(farmers)ではなかったことである。小屋住は農民の家族の中から不平等な相続の結果、生まれて来たのである。
 この自由主義と不平等性の組み合わせは、宗教改革でも(つまりカルヴィン派の受け入れの際も)繰り返される。プロテスタンティズムは、人々(俗人)が教会という教階的組織から自由であり、自ら聖職者であることを公然と主張し、牧師も俗人も自らの良心にしたがって(自由に)「福音」によって信仰生活を送るべきことを説く。しかし、その教義内容は決して平等主義的ではない。個人個人の救済・非救済はあらかじめ全知全能の神によって予定されており、すべては神意によって決められることである。個人に出来ることといえば、神による魂の救済を信じてその招命(calling)=福音に従って生きることであるに過ぎない。
 たしかに後になってこうした二重予定説の教義はしだいに薄れてゆく(例えばジョン・ミルトンや、メソジストなどを見よ)。しかし、それでも自分が神によって選ばれた民の一人であるという意識は色濃く残る。19世紀から20世紀にかけて宗教改革時の宗教的熱狂から覚め、形骸化が進んでも、この選民意識はしぶとく残り、それが他の諸民族に対するあらわされる優越的な態度、「帝国主義の精神」となって現れる。それは、19世紀末から20世紀初頭のヨーロッパ人(例えばヴェーバーや、シュルツェ・ゲーヴァニッツなどのドイツ人)には、きわめてアングロ・サクソン的な精神の発現と思われたであろう。「プロテスタンィズムの倫理と資本主義の「精神」」の末尾の、「うぬぼれた末人」(letzte Menschen)の登場に対する批判めいた言葉は、そのことをよく示しているように思われる。

 さて、話は変わるが、わが日本はどうであろうか? 
 ヴェーバー的には日本仏教が問題となり、トッド的には日本の家族制度や土地制度が問題となるであろう。
 後者の点では、日本のほとんどの地域で権威主義的家族形態と不平等な相続制度が支配的であったことが知られている。このことは、戦前から戦後にかけて実施された相続慣行調査(川島武宣氏『農家相続と農地』、『日本社会の家族的構成』など)や国勢調査からもうかがわれる。九州南部(鹿児島県や宮崎県の一部)と沖縄とを大きな例外として、戦前の日本の基本的な相続慣行は一子相続制であった(不平等)。しかも、家族形態においては核家族とならんで、夫婦が年老いた親(両親・片親)と同居する世帯がかなり高い割合で観察されている。これに対して、相対的にであるが、自由主義的かつ平等な傾向を示す地域もわずかであるがある。それは、南九州から沖縄県にかけての地域である。そこでは末子相続という名の分割相続(共同相続、均分相続など)が見られ、琉球処分以前の沖縄では村による「土地割替」(土地共有と定期的な再分配)の慣行さえ見られた(平等主義)。しかも、ここでは親との同居世帯は他の地域に比べると少ない(相対的に自由主義的な傾向)。もっとも、ここでも親との同居世帯は一定の比率で存在しており、その非権威主義的傾向・自由主義的傾向は他の地域と比較した場合の相対的なものに過ぎないという方が正確だろう。(常識にはそわないかもしれないが、もしかすると青森県が若干これに近いかもしれない。ここでは他の東北地方と比べて、親との同居世帯の比率が若干低いことが統計的に示される。)
 
 ただし、日本では少数派だった平等主義的配分も、東アジアの他の地域ではむしろ多数派であった。中国と朝鮮半島における分割相続の慣行が支配的であったことは、社会学者の間では常識に属する。
 ヨーロッパでも、上述のイギリス型だけでなく、他のタイプも存在しており、一方では、例えばフランスの一定の地域が、また他方ではロシアを中心とする東欧の相当部分が分割相続の厳格に適用される(平等主義の)地域であったことが知られている。しかし、トッド氏が明らかにしているように、フランスは自由主義的家族の地域であり、ロシアは権威主義的家族の地域であるという大きな相違がある。またドイツの広範な地域には、日本と類似の権威主義的・不平等的な家族・相続慣行が認められる。私には、現在のヨーロッパ諸国の経済の制度的特徴の多くがこうした事情とかなり密接に関連しているように思われる。
 私は、中国や朝鮮半島の家族がどの程度に権威主義的なのか、あるいは自由主義的なのか、詳しく知るための統計資料をまったく持っていないが、さしあたり韓国については国勢調査資料から世帯類型を知ることはできそうである。
 過去からの伝統がどの程度まで現代の政治・経済・社会に影響を及ぼしつづけているのか(われわれはどの程度過去にとらわれているのか)、これは社会科学上の大問題である。それをアプリオリに前提することができないことはいうまでもないが、同時にそれをアプリオリに否定することも科学的な態度ではない。
 ちなみに、日本の研究者の中には、ヨーロッパ研究を行っている多くの研究者が「ヨーロッパ」を「アジア」に平板に対立させていると述べ、批判している人がいるが、実際にはヨーロッパもアジアも多様であり、日本でさえ多様な諸地域を抱えている。そのような批判をしている人こそ、単純な対立図式から自由になれていないのではないだろうか。

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