2014年12月15日月曜日

リンクします。 色平哲郎氏による不破哲三氏の選挙演説の紹介

 選挙戦における不破哲三氏の演説。

 今日、安倍晋三氏が欧州における「極右」ポピュリストと本質的に同じであることを、きちんと指摘できる人は本当に少なくなりました。

 /http://critic20.exblog.jp/23199948/


 昔、ケインズが『雇用・利子および貨幣の一般理論』危惧したこと(内政=アベノミックの失敗等を対外ナショナリズムで煽ること)がこの日本でいよいよ現実のものとなってきました。
 民主党も少しは学習したらどうでしょうか?



有権者の皆さん、「トリクルダウン」などないのですよ!

 「トリクルダウン」という言葉がしばしば口頭にのぼります。いや、この言葉自体は実際には使われることは多くないかもしれませんが、その考えは、政治家やエコノミストによって表明されることはよくあります。
 トリクルダウンとは、難しい言葉で「均霑」、まず富裕な人々・企業が潤うと、次に何時かは所得の低い庶民にもおこぼれがしたたり落ちてくるというものです。例えばアベノミクスを続ければ、まず企業の業績が回復し、いつの時か(いったい何年後になるのでしょうか?)従業員の給与も上げられる、といった主張・説明・解説の類です。

 今回の選挙でも、それを信じて自民党に投票した人たちが多かったのでしょう。
 しかし、残念ながら、それが実現したためしはまずありません。
 具体例はいつか話すことにしましょう。ここでは、何故か? を説明します。

 最も簡単には次のように説明されます。
 国民生産は「国民所得」を生みますが、その国民所得は、賃金と利潤に分かれます。記号で書けば、次のようになります。
  Y=W+R  国民所得=賃金+利潤
 例えば、500の所得が350の賃金と150の利潤に分かれるといったようにです。
  500=350+150
 
 ここで、次の年に所得が3パーセント増えたて、515になったとしましょう。
 しかし、この時に増えた15の所得が全額利潤(要するに、富裕者の所得)となったしましょう。
  つまり、515=350+165 です。

 さらに、もし翌年もまた所得が3パーセント増えて、530.45 になったとします。この時、やはり増えたのが利潤(富裕者の所得)とします。
 530.45=350+180.45
 このことが際限なく続き、国民所得の増加分がすべて利潤になるとしましょう。もちろん、増えるのは利潤だけであり、賃金はいつまでたっても増えません。 

 さて、この事例は何を意味するでしょうか?
 それは、小学生でもわかるように、次の2点です。
 1)アベノミクスの効果が現れて、賃金があがるのは2、3年後などという主張が、欺瞞(だまし、言い訳など)以外の何物でもない、ことです。
 2)また百年賃金が将来のいつか上がるのを待って無駄だということです。人々が今(今年)賃金を上げられなければ、ずっと上げられません。
 この1)と2)は実際に1970年代以降の米国と英国の例からも断言できます。
 私たちが賃金(給与、勤労所得)を引き上げることができるのは、労働組合の力や政治の力、世論、市民活動の力などをもって実際に賃金(勤労所得)を引き上げることができるときだけです。

 中国の故事に「百年河清を待つ」がありますが、濁った水が流れてくる限り、待っていても河は清くなりません。多くの人がそのことに気づくのはいったい何時のことになるのでしょうか?

 実際には、賃金所得が増えないと、国民大衆の所得も増えず、消費需要。消費支出も増えずに、スランプ状態が続きます。
 実際、アベノミックスの下で、輸入物価の上昇、消費増税、実質賃金の低下などが生じ、企業はスランプに陥っています。しかも、このスランプ時に企業が利潤を増やすには一つの方法しかありません。賃金を圧縮することだけです。
 ともあれ、このことに有権者はまもなく気づくことになるでしょう。







 

2014年12月14日日曜日

明治期以降の新潟県の人口動態 1 

 人口は、経済社会を考える場合、最も重要となる数値です。当たり前のことですが、私たちの取り扱うのが猫や犬の経済社会ではなく、人間の経済社会だからです。
 したがって『人口論』を書いたマルサスは言うに及ばず、ケインズやハロッドのような偉大な経済学者は、人口統計にも最新の注意を払っていました。ケインズの「人口減少の若干の経済的帰結」(1937年のガルトン講義)については簡単に紹介したところですが、ケインズが人口問題に多大の関心を寄せていたことは、1990年代における人口に関する長大な遺稿が発見されたことや、「平和の経済的帰結」におけるロシア帝国における人口問題(過剰人口問題)への言及(決して素人的ではない言及)からもうかがうことができます。

 ところで、人口統計については、一国全体、例えば日本全体における変化が私たちの関心をひくことは言うまでもありませんが、各地域における変化もそれに劣らず重要といわなければなりません。特に日本の場合、明治以降、現在までいわゆる「地方」の人口が絶えず「中央」、つまり東京や関東地方に向かって移動してきました。いや、正確に言うと、江戸時代からそうだったようです。当時、江戸では、出生数が死亡数を超えることはほとんどありませんでした。つまり、自然増加率はゼロ以下。そこで、江戸という城下町が生き延びるためには、絶えず周辺地域からの人口の社会的移動(流入)が必要でした。例えると、これは江戸が人口を吸収する「アリ地獄」(またはブラックホール)のようなものだったことを意味します。
 実は、明治時代になっても、現在に至っても、そうした性格はあまり変わっていません。以下では、そのことを実際の統計データを用いて示すことにします。もちろん、実際の統計データからは、それと並んで、他の多くのことが分かってきます。

 ここで本論に入る前に、人口を推測するための資料としてどんなものがあるか、簡単に示しておきます。

 日本における人口統計、または人口を推測するための手がかりとなる統計が最初に現れるのは、かなり古く奈良時代末期から平安時代初期にかかてです。
 当時、大和朝廷を中心とする律令体制がしだいに整備されてゆくに伴って、国・郡・郷・里の制が調えられ、また戸籍が編まれました。特に現代人の私たちが人口を当時の人口を推測するために役立つのが各国・郡における郷数です。というのは、各郷は1000人を基準として編成されることとされていたからです。
 古い文献(10世紀初頭に成立した『和名抄』など)には、越後国7郡34郷が揚げられており、佐渡国3郡22郷が揚げられていました。したがって現在の新潟県にあたる地域には、10郡55郷があったことになり、その総人口は55,000人〜60,000人ほどが住んでいたことが推測されます。もちろん、これは概数ですが、少なくともオーダーは知ることができます。これは現在の約40分の1です。ちなみに当時の日本全体の国郡郷数は68国、592郡、4026郷でしたので、ここから総人口を推計すると、400万〜500万人となります。現在の約30分の1程度に等しくなります。
 それから1100年程の間に、全国人口は30倍に、新潟県人口は40倍に増加しましたが、この間、平安時代から近代までの越後の人口変化は、様々な時期に集められた様々な統計(人口調査、耕地面積、米の生産高=石高など)から知ることができます。
 新潟県については、例えば吉田東伍氏『越後国之歴史地理』(大正14年)中の「信越三県古今の歴史比較」などにそれらの資料と数字があげられています。これは新潟県立図書館のデジタルライブラリーにアップされているので、ここでは紹介を省略します。
 さて、江戸時代には、毎年宗門改帳が編成され、時折人口調査も行われていたので、それらを利用すれば、人口のおおよその動態を知ることは可能です。宗門改帳は、明治7年まで作成され続けましたが、その後、「壬申戸籍」の制度に席を譲りました。この壬申戸籍の制度も明治17年に終わりましたが、その後に現在まで接続する近代戸籍制度が始まり、また国勢調査も行われるようになりました。こうして明治期には、政府が「本籍人口」や「常住人口」などの人口統計を統計書で公表するようになりましたので、近代については、これらの数値を利用して、人口動態をかなり詳しく知ることができます。

 ただし、近代に近い時期に限っても、明治初期以前については出版された詳細な人口統計はありません。そこで、徳川幕府の公表した数字の他は、宗門改帳や壬申戸籍の数字を用いるしかありませんが、朱門改帳はともかくとして、壬申戸籍は地方自治体(市町村)の所有になり、かつプライベート情報が含まれているので利用不能です。

 しかし、私の調査では、1700年代から1840年代までの時期には、新潟県の人口はほとんど停滞しており、1840年代の飢饉と人口減少ののちふたたび増加しはじめ、その増加は1950年頃まで続きました。(ただし、1937年に始まる日中戦争、1941年に始まる太平洋戦争の中で徴兵等により減少し、戦後の復員等により急増しています。)

 なお、新潟県の場合、明治以降の人口統計は、『新潟県統計書』(明治〜1997年)、『新潟県統計年鑑』(1998年〜現在)の他、『新潟県概要』(1962〜64年)、『新潟県のすがた』(1965〜1988年)、『統計から見た新潟県のすがた』(1989〜1991年)、『統計データハンドブック』(1992年〜現在)に掲載されています。また新潟県庁のホームページに明治以降の長期時系列統計(zipファイル)が掲載されています。ただし、後者は、市町村別・月別統計・性別・年齢別統計をまとめているため、分析のためにはデータのソートが必要となり、よほど時間のある人以外は利用するのが難しように思います。

 次回から何回かにわたって、新潟県の人口動態の特徴を紹介することにします。


2014年12月8日月曜日

人口減少の若干の経済的帰結 ケインズ 3

 前回は、将来の人口減少がどのような経済的帰結(問題)をもたらすかという点について、ケインズの講義の要点を説明しました。
 繰り返すと、従来の貯蓄率(投資率)を維持したままで資本蓄積を進行させると、過剰投資(生産能力の過剰な成長)または過小消費(有効需要の不足)が生じ、景気が悪化し、悲観主義的な見方が広まることになる、と要約することができます。
 数値例では、人口増加率がゼロ、貯蓄率が8パーセント、資本係数(K/YまたはI/ΔY)が4の場合、資本ストックは毎年(累積的に)2パーセント(I/K)の割合で増加するが、一方で、消費需要は生活水準の増加率(<1パーセント)でしか増加しない、といった具合になります。貯蓄率が15パーセントの場合は、両者の乖離はもっと激しくなります(つまり資本ストックの成長率が4パーセント、産出量の成長率が1パーセント)。
 この場合、もし資本ストックの増加がすべて労働生産性の成長に寄与するならば、それは失業率を引き上げることになります。なぜならば、ケインズが別のところで詳しく論じているように、雇用(労働需要)は生産量が増えれば増え、労働生産性が上がれば減少するからです。最も簡単なモデルでは、それは次のような式で示されます。
  N=Q/ρ  (ただし、N:雇用量、Q:生産量、ρ:労働生産性)
 例えば一定期間あたりの生産量が1,000単位、労働生産性が10単位/人ならば、100人の労働者が必要となることは、サルは無理としても、小学生でも理解できるでしょう。
 ところが、上記の場合、労働生産性が毎年2パーセント(または4パーセント)上昇するのに、生産は1パーセントしか増えないのですから。
 もちろん、この数値例がいつでも当てはまるというわけではありません。重要なことは、資本ストックの増加率、労働生産性の成長率、産出量がバランスよく調和的に発展することが肝要であり、人口減少の場合には、不均衡という結果が現れる蓋然性が高いということにあります。

 そこで、次の問題は、それを社会全体でどのように調整するべきかということになります。
 繰り返しますが、貯蓄率(投資率)が高く、資本ストックや労働生産性が所得、そして消費需要より急速に成長するような場合には、きわめて深刻な場合が生じます。またスランプの中で、個々の企業が激化する競争の中で生き残りをかけて大きな投資を行った場合、少数の企業は生き延びることに成功するかもしれませんが、多数の企業が破産することも避けられません。
 したがって、ケインズは結論します。「私たちが所得中のより小さい部分が貯蓄されるようにするために(つまり貯蓄率を下げるために)制度や富の分配を変えるか、それとも産出に比してより多くの資本の使用をもたらすような技術または消費の方向へのきわめて大きな変化を有利とするのに十分なほど利子率を引き下げるか、のいずれかである。」

 何だ簡単なことじゃないかという人がいるかもしれません。しかし、それは決して簡単なことではありません。というのは、貯蓄率を引き下げるということは、より富裕な人々が富(資産)を増やすペースを引き下げることを意味します。また貯蓄率を引き下げるように制度や富の分配を変えるということは、富裕者の所得を減らし、より低い所得者の所得を増やすことを意味するからです。その理由は明白です。所得の高い人ほど、貯蓄性向が高いからです。
 したがって「求められている変化に反対する多くの社会的および政治的勢力が現れる」ことが予想されます。昔(21世紀の初頭に)、小泉首相は彼の「構造改革」に反対する人々という意味で「抵抗勢力」という言葉を使いましたが、実は、「抵抗勢力」というのは、ケインズの意味では、むしろ小泉氏の構造改革政策を支持する人々に対して用いられるべきでした。
 ともかく、好ましい変化を実現するためには、そうした変化を賢明にも徐々に実現しなければならない、とケインズは言います。しかし、そうでない場合はどうでしょうか。ケインズは言います。
 
 「もし資本家社会がより平等な所得分配を拒み、銀行および金融の勢力が利子率を19世紀に平均的だった数値にだいたい近い数値(つまり高金利)に維持することに成功するならば、資源(労働力を含みます)の過小雇用へと向かう慢性的な傾向が(経済社会の)活力を失わせ、その社会を破壊するに違いありません。」

 実際には、ケインズの指し示した方向とは逆の方向、むしろケインズの危惧した方向へ現在の日本社会が向かっているように思われます。

人口減少の若干の経済的帰結 ケインズ 2 


 ケインズの講演(ガルトン講義)は、雑誌に掲載された論文では全部で21段落からなっています。その全体を要約しながら、解説してゆきたいと思います。
 最初の段落。この部分は、講演の導入部分であり、直接、人口の問題を論じているわけではありません。あえて要約すれば、「将来は過去に似ていない」けれども、私たちの想像力や知識が限られているため、しばしば「将来は過去に似ているだろう」と想定して行動すると述べています。もっとも、いま一つベンサム主義(功利主義)学派の導き出した奇妙な考案があるが、その理論にもとづいて行動した人は誰もいない、とも述べます。
 ここでケインズが「(人々が)将来は過去に似ているだろう」と想定して行動することに対してどんな評価を下しているのか気になるところです。「将来は過去に似ていない」という最初の言葉からすると、ネガティヴに捉えているようにも思えます。しかし、必ずしもそうとはいえません。が、この点はひとまず措いて先に進みます。
 第二段落に移ります。ここでケインズは、私たちが他のどんなことよりはるかに確実に知りうることは、これまでの人口増加に代わって、きわめて短期間に人口の静止または減少に直面することであると述べます。もちろん、その前提としては、20世紀に入ってから出生数(繰り返しますが、出生率ではありません)が減少してきたという明白な事実がありました。もちろん前回も述べたように、出生数が減少したからと言って、すぐに人口や生産年齢人口が減少に転じるわけではありません。その効果が誰の眼にもはっきりと分かるまでに数十年という「タイムラグ」があります。ケインズが実際の人口統計をしっかりと見ていたことは言うまでもありません。
 しかし、ここでケインズが問題とするのは人口の静止または減少それ自体ではなく、むしろそれがもたらす経済的帰結です。
  そこで第三段落に移ります。この問題を検討するために、ケインズは、人口の変動が「資本に対する需要」(以下では資本需要という)に大きな影響を与えるとした上で、まず過去における資本に対する需要がどのような要因によって生まれてきたかを明らかにします。(やはり将来の大きな問題を考える場合も、過去の歴史を無視するわけには行きません。)ケインズが着目したのは、人口増加が資本需要にかなりの程度に関係していたという事実です。
 さて、もしそうだとすると人口の静止や減少は、資本需要の停滞や減少を導くのではないかということが予想されます。そんなことはどうでもいいではないかという人がいるかもしれませんが、実はそうではありません。
 ケインズの講演からは少し逸れるかもしれませんが、この点に簡単に触れておきます。
 現実の経済の世界では、企業に資本需要が生じ、特定の資本設備(機械、道具、建築物等)に対する注文が企業によってなされれると、受注した企業でそれら資本財が生産がされます。したがって資本需要の停滞や減少は、資本財の生産量や、それの生産に従事する人々(労働力)に対する需要(雇用)を停滞させるか、減少させることになります。
 「それでいいではないか。人口が停滞または減少するのだから」という意見が聞こえてきそうです。そうです。その通りです。働く人の立場から見れば、労働供給(働きたい人)が減るのであれば、雇用が減っても、必ずしも問題ではありません。
 労働需要の減少が失業の拡大を招かないようなペースでなければなりません。
 また企業(投資家、経営者)の立場から見てどうかも考えなければなりませんる。実は現代の経済社会において一番やっかいな問題がここにあります。そして、ケインズも実際にはそれを視野に入れて問題を論じているのです。が、この点には後段で立ち戻ることにしえ、ケインズの講演に戻ります。
 ケインズは、次に人口増加の時代と人口減少の時代とを比較して、前者の場合は楽観主義が、後者の場合は悲観主義が醸成されやすいと述べます。すなわち人口が増加している場合は、資本財の供給が過剰であっても、資本需要自体は増えているので、過剰供給が是正されやすいという傾向があります。これに対して、人口が減少している場合は、資本需要が減少しており、資本の過剰供給は簡単に是正されない、という訳です。
 このことは実際例えば現在の日本でも見られる通りです。政府と日銀がしゃかりきになって「異次元の金融緩和」によって投資(資金の調達のための銀行貸付)を増やそうとしているではありませんか。しかし、また横道にそれたかもしれません。
 さてケインズに従って過去に資本需要がどのような要因によって生まれたかを見ておきましょう。
 第4段落~第8段落で、ケインズが指摘していることは、資本需要が三つの大きな要因(人口、生活水準、生産期間)によって増加してきたということです。1860年から1913年までの53年間では、資本ストックの要因別の増加率(倍率)は次の通りでした。
  実物資本             2.70
  人口(消費者数)         1.50
  生活水準(一人あたりの消費量)  1.60
生産期間(資本技術)       1.10
これはきわめて大雑把な数字ですが、三要因の倍率をかけあわせると、およそ2.70倍になります。(1.5×1.6×1.12.7
これらの三要因のうち二つは自明であり、詳しく説明する必要はないかもしれませんが、三番目の(平均的な)生産期間(資本技術)については、若干の説明が必要かもしれません。ケインズの説明では、それは「当期に消費される財を効率よく調達する方法としての長期の過程の相対的重要性」(資本技術)、または「おおまかに言えば、労働が行われてから生産物が消費されるまでの間隔の加重平均」(生産期間)とされています。
いま財とサービスを生産する平均的な設備(建物機械・道具類)を考えましょう。まず全く同じ性能・品質の設備の量だけが変化すると考えると、設備は人口、つまり消費量または生産量の増加に応じて比例的に増えなければなりません。また一方、生活水準にも応じて生産量を増やすために設備を増やさなければなりません。両者の設備に対する総需要効果は、(ケインズの数値では)53年間で1.5×1.62.5倍となります。
しかし、53年間の間に設備の性能・品質はもちろん、流通・販売部門を含む社会全体の経済環境(つまり資本技術)はかなり変化したでしょう。それは19世紀には増加した消費量に応じた資本設備の増加だけではなく、追加的な必要資本量を増やした、とケインズは考えました。
ただし、ケインズがのべるように、「生産期間に及ぼす発明の影響は、その時代の特徴的な発明の種類に依存している」ので、19世紀に当てはまったことが、今日でも当てはまるかどうかは、確かではではありません。むしろ平均的な生産期間が縮小する可能性があると、ケインズは示唆します。しかし、この点の予測を行うことはケインズの意図ではありません。またその要因が資本需要に及ぼす影響は比較的小さいので、以下では、発明はこの点で中立的だという想定の下に説明を続けていきます。
ちなみに、ケインズも指摘するように、実物資本の「量」に関する統計には特別の難しさがあります。また実物資本の「内容」も大きく変化してきました。例えば1860年代に使われた資本装備と現在の資本装備の間には性能・品質上の大きな差異があります。それにそもそも農機具や住宅、工業用機械などの用途・性質の異なるものをどのようにしたら一つの「量」として集計できるでしょうか? もし実物資本が例えば水や鉄のように同質なものであれば、その物理量を示すことができるでしょうが、そうはいきません。結局、様々な資本財の生産額や価格統計をもとにして、きわめてラフに「量」を推計しているというのが実態なのです。もちろんケインズはそのことをよく知っていました。そこで、ケインズは『雇用・利子および貨幣の一般理論』でも、経済量の「単位の選定」を議論しているのです。しかし、この点は専門的なことになりますので、措いておくことにします。

次にケインズが過去(現在までを含む)の経済の検討から知ろうとしたことは、貯蓄率です。貯蓄率(貯蓄性向とも呼ばれます)とは、国民所得のうち貯蓄に向けられる部分の割合のことであり、記号で示すと、sS÷Y となります(ただし、Sは貯蓄、Yは国民所得であり、SYC が示すように、貯蓄とは国民所得のうち消費支出に向けられなかった残余と定義されます。これは「定義」ですので、その理由をあれこれ詮索してもあまり意味はありません。)
ケインズは、利用可能な経済統計を用いて、当時、「完全雇用」を達成するという条件下では貯蓄率が815パーセントの間のどこかにあったという結論を導いています。ここで「完全雇用」というのは、働く意思のある人々が「非自発的な失業」の状態にはないことを意味しています。(自発的失業ならば、完全雇用と両立します。)
ここで知っておかなければならない一つの重要な点は、(さしあたり外国との経済関係を捨象した一国経済=閉鎖経済を前提とすると)、投資=貯蓄(I=S)が事後的な恒等式として成立することです。また多くの場合、貯蓄をするのは、企業や富裕者だということも忘れてはならない事実です。
さて、ここから次の重要な疑問が生じてきます。それは人口が静止または減少しているため、資本需要が生活水準の上昇からしか増えなくなったとき、何らかの深刻な問題が生じないのだろうかという疑問です。
これに対するケインズの答えは、大きな問題があるというものです。
さて、これまでに検討してきたように、私たちの手元には次の数値があります。
生活水準の上昇による資本需要の増加  1.6倍(年に1パーセント以下)
 貯蓄率(国民所得に対する貯蓄、つまり投資資金供給の比率) 815パーセント
はたしてこれはバランスのとれた経済にとって整合的な数字でしょうか?
これを知るためには、次に資本ストックが国民所得の何年分に相当するかを知る必要があります。(その理由は後段で説明します。)ケインズは、やはり当時の統計からそれが約4倍だったと言います。
ここで説明を簡略にするために、次の記号を用います。
  Y:国民所得(フロー、つまり年々の数字)
  K:資本ストック(ストック、つまりある時点における資本装備の総量)
ケインズの数字は、K÷Y4(あるいはY÷K0.25)というものです。講演でケインズが用いた例解では、国民所得が40億ポンドであり、資本ストックは150億ポンドとされています。実は、この、ケインズが英国について約4に等しいとした数値(資本係数という)は(少なくとも一つの地域では、かなりの期間にわたって)かなり安定的な数字(つまり一定)だということが様々な経済学者によって認められています。ということは、年々の数字(投資と国民所得の増加の関係)にもこの4という数字が当てはまることになります。つまり、新規投資はその0.25倍に等しい所得を産み出すことになります。I÷ΔY4
ここから導かれることは、815パーセントの間で行われる新規投資が一年あたり24パーセントの間の資本ストックの累積的な(毎年の)増加をもたらすことになるという事実です。数値に幅を持たせるのはややこしいので、8パーセントと2パーセントという数字を用いることにします(後で分かるように、これによってケインズの主張はいっそう確実になるはずです)。
もう一度まとめておきます。
生活水準の上昇率(人口静止下では、国民所得の増加率)<1パーセント(年)
貯蓄率(投資率) 8パーセント
 これは2パーセントの資本ストックの増加をもたらす。
   (なぜならば、I/Y=0.08かつK/Y=4 よってI/K=0.02 )
これが意味するところは明白です。
そのような投資率(=貯蓄率)は毎年少なくとも2パーセントの割合で資本ストックが増えてゆくことを示しています。それは言うまでもなく、生産能力を毎年2パーセントずつ引き上げてゆくことを意味しています。この生産能力は10年で22パーセント、20年で49パーセントも上昇します。
他方、消費需要はどうでしょうか。貯蓄性向が同じなら(したがって消費性向も同じなら)、消費需要は毎年1パーセントしか増えず、10年で10パーセント、20年でも22パーセントしか増えません。
これは企業(一国全体)にとっては、巨額の投資資金を投入して生産能力を拡大したにもかかわらず、総需要(総販売高)が期待するように伸びないこと、つまり景気の悪化を意味します。もし仮にこのような状況が続くならば、企業(個別)の中には、生産費が増えたにもかわらず、売上高が伸びないため破産するものが多数出てくるでしょう。労働供給が減少しているのに、かえって失業が広がり、社会全体を悲観主義がおおうでしょう。

 このケインズの主張は、世の人々(政治家を含む)の常識的な考えが誤りであることを端的に示しています。そうです。「常識」は次のようにささやきます。<人口が減るのだから、経済成長を持続させるためには、1人あたりの生産を増やさなければならない。そのためには労働生産性(つまり労働者一人あたりの生産能力)を上げなければならない。リストラして一人の労働者がよりおおくのモノを作れるようにしよう。もっと設備投資を増やそう。> ざっとこんなところでしょうか。
 こうした主張の誤りは、経済を常に供給側(財の供給側、資金の供給側、貨幣供給など)からしか見ることができないことにあります。なるほど、もし供給側に問題があることが確かならば、そうした主張にも大いに意味があるでしょう。しかし、残念ながら、現実はそうではありません。
 さて、ケインズに戻りましょう。ケインズの本意は、長期にわたる「繁栄の均衡条件」が自動的に整うわけではないことを明らかにし、また他方では、それを確実なものとするための条件を調えることが重要であることを示すことにありました。しかし、ここでも私たちは、残念なことに、長期にわたる繁栄の均衡条件を整えることは、企業側の事情により(あるいは政治的理由により)難しいといわざるを得ません。
 しかし、これについては次回にゆずることとし、今日はこれまでにしておきます。

2014年12月7日日曜日

アベノミクスを採点する

 投票日が近づいてきました。
 自民党・安倍首相は、「アベノミックス」なるものをさかんに宣伝しています。
 しかし、それが如何にデタラメなものか、その要点を簡単に指摘しておきます。

1)「異次元の金融緩和」、2%のインフレが「デフレ不況」を克服するという主張
  しかし、実際は、
   ・実質賃金の低下
     物価上昇は上昇しましたが、民間大企業でさえ今春のベースアップは、せいぜ    い2千円程度。これは実質賃金が低下したことを示しています。
     おまけに、先日発表されたように、前四半期のGDPは大幅マイナス。
   ・マネタリーベースとマネーサプライ
     「異次元の金融緩和」によって日銀から市中銀行への貨幣供給(マネタリーベ    ース)は、2013年春から現在まで大幅に増加しました。しかし、市中銀行から     人々(個人、企業など)に対する貨幣供給(貨幣ストック)、特に貸付額はほと    んどまったく増えていません。
     当たり前です。企業の設備投資が冷えきったままなのですから。一部のマスコ    ミとアベノミックスを支持するエコノミスト、政治家たちは懸命に投資が増えて    いるという雰囲気を創り出そうとしてますが、事実(数字)は違います。

     *個人的な話しながら、これに関連する話しを一つ。今年の夏、私は、普通預     金にわずかながら一定の金額がたまったので、ある地銀に「定額預金」に換え     るために行きました。金利は限りなくゼロに近い低い率ながら、他の商品に比     べると割高です。
      ところが、銀行の窓口の人は、何とか定額預金ではなく、さかんに年金性の     商品、保険性の金融商品を進めようとします。曰く、「預金は金利が低くてお     客さんに申し訳ない」とのこと。しかし、もちろん、本音は違います。「貸付     が増えていないので、準備預金などの必要はない」、「それより、手っ取り早     く手数料を稼ぎたい」、「行内でも上司にそのように指導されている」といっ     たところでしょうか? 

   ・円安と物価上昇
     物価が上昇したのは、円安(つまりドルをはじめとする外貨高)ため。これに    よって輸入物価が大幅に上昇しました。
     一方、現在では、巨大企業の在外生産が進展していますので、輸出量・額がそ    れほど増えるわけではありません。
     その結果、人々(国民の多く)は物価が上がるのに、所得が増えず、苦しむこ    とになります。
   ・消費増税の長期的影響
     消費税の増税は、1997年の橋本政権による増税時と同じような帰結をもたらし    ています。まず増税前の駆け込み需要の急増、次に増税後の消費需要の急落、そ    してさらにその後の消費需要の長期停滞です。3%の増税効果は、人々の所得が増    えないため、じわじわと効いています。また今後も効いてくるでしょう。
   ・苦し紛れの「トリクルダウン」(均霑効果)説
     こうした状況を前にしてなされる言い訳は、トリクルダウン(均霑)の話しで    す。それは企業・富裕者が業績を改善すれば、次にそのおこぼれが低所得者にも    及ぶというものですが、それが効果をあらわし、労働条件が改善されはじめるの    は、2、3年後という「タイムラグ」理論(?!)を伴ったりします。
     しかし、これほど誤った主張はありません。
     ちょっとでも経済学を学んだことのある人ならば、所得分配から見ると、国民    所得が賃金と利潤の合計であることは、初歩の知識。これまでの歴史(近年の日    本、1970年代以降のアメリカなど)でも、賃金の上昇なしで利潤だけが拡大する    ことは稀なことではありません。
     「百年河清を待つ」という言葉がありますが、じっと待っていれば賃金がいつ    かあがる時が来るというわけではありません。人々が労働側の団結、選挙等にお    ける政治的圧力を始めとする何らかの圧力をかけることができなければ、何時ま    で待っても、だめでしょう。
     そして賃金所得が増えなければ、消費需要も停滞し、したがって(生産能力を    拡大するための)投資需要も衰退して、スランプが続くことになります。
 
2)景気動向指数も軒並み悪化
  内閣府のホームページに載っている景気動向指数を見てみましょう。
  全国勤労者世帯の家計消費支出、耐久消費財出荷指数、製造業の稼働率など、いろん な指数を見ても、景気がよくなったことを示す指数は存在しません。(これらの指数に ついては、後日時間を見て紹介します。)

  そもそも「デフレ不況」と言いますが、本当にデフレだったのでしょうか? 
  もしデフレを物価水準の低下という意味で用いるならば、日本経済はデフレではあり ませんでした。日本の公式統計を信じるならば、物価水準の変動率はほぼゼロでした。 これはインフレでもデフレでもない状態を意味しています。
  しかし、着実に低下してきたものがあります。
  それは日本社会全体の賃金総額(貨幣賃金)の持続的低下です。ピーク時からみれ  ば、10パーセント以上の低下が生じてきました。しかも、それは巨大企業が「内部留  保」を拡大してきたのと並行して進行してきました。
  その背景には、1997年頃から明らかとなってきた生産年齢人口の縮小もありますが、 それと並行して(生産年齢人口が減少しているにもかかわらず!)正規雇用数が減少  し、低賃金非正規雇用が拡大してきたという事実があります。
  ここでも「トリクルダウン」説の欺瞞性が現れています。

 評点 不可

 とりあえず今日はこれまでにしておきます。


2014年12月6日土曜日

人口減少の若干の経済的帰結 ジョン・メイナード・ケインズ

 最後にブログを書いてからだいぶたちます。久しぶりにブログを更新します。

 さて、近年の日本では、しばしば「少子高齢化」という言葉が口にのぼります。
 しかし、藻谷浩介氏(『日本の地域力』、『デフレの正体』、『里山資本主義』など)が述べるように、この言葉によって示されている事態は必ずしも正確に理解されているとは言い難いようです。が、この点については、後日詳しく触れることとして、ここでは、さしあたり次の二つのことを指摘しておきたいと思います。
 1)日本では、戦後、ある時期から出生数(births)(出生率ではなく、絶対値です)が急激に減少し、その後、第二のある時期から現在まで出生数は急激ではありませんが、徐々に減少してきました。ここで「ある時期」というのは、いわゆる団塊の世代の出生数がピークに達した1947年以降であり、その後、20年以上が経って団塊の世代が子供をもうけるようになったとき、出生数は増加しましたが、それもピークに達すると、急激な人口減少が生じました。しかし、急激な人口減少がずっと続いて来たのではなく、「第二のある時期」からは緩慢な出生数の減少が現在まで続いています。
 具体的なデータとグラフは、wikipediaの「ベビーブーム」に詳しいので、参照を願うこととして、ここでは省略します。 http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%99%E3%83%93%E3%83%BC%E3%83%96%E3%83%BC%E3%83%A0 
 2)ところで、出生数の減少は、即座に総人口の減少を導くわけでも、生産年齢人口の減少を導くわけではありません。いま生産年齢人口(さしあたり20〜65歳として置きます)だけについて語るとすると、人が生産年齢に達するのは、生まれてから20年後であり、生産年齢を超えるのは65年後です。したがって出生数の累積的(長期的)な減少がいつかは生産年齢人口の減少をもたらすとしても、それまでには、タイムラグが生じます。現在、日本で生じているかなり急速な生産年齢人口の減少は、20年〜65年前に生じた事態(変更不能な事態)の結果であることは、説明するまでもありません。また、例えば50年後における生産年齢人口は、15年前から現在までの出生数(これは変更不能です)と今後30年間の出生数(これはどうなるか未定です)に大きく左右されることになります。これも説明するまでもなりません。

 さて、今日の本題に移ります。
 ケインズは、1937年2月16日に「ガルトン講義」と呼ばれる講演で、20世紀に入ってからヨーロッパの出生数(くどいようですが、出生率ではなく出生数を問題としています)が低下してきたという事実にもとづいて、またおそらくその傾向が持続するであろうという展望にもとづいて、将来、ヨーロッパの人口が静止または(そのペースははっきりしないけれども)減少するであろうことを理解していました。当時はまだ人口増加も生産年齢人口の増加も持続していたときです。しかし、もちろん、ケインズは、出生率の変動と生産年齢人口または人口の変動との間に上に述べたようなタイムラグがあることを知っていました。
 しかも、ケインズの天賦の才能は、将来、確実に生じるであろう人口の静止または減少がどのような帰結をもたらすか、その問題性をかなり明確に理解していました。ガルトン講義で指摘したことは、人口(正確には生産年齢人口)の減少に実際に直面している日本の経済社会を考えるときに、きわめて重要と考えられます。
 そこで、さしあたり今日は、ケインズの講義(「人口減少の若干の経済的帰結」)の日本語訳を以下に掲げることにします。それに対する解説は少しずつ行うことにしたいと思います。
 なお、ガルトン講義は、話し言葉ながらかなり難解の箇所があり、適訳ではない箇所があるかもしれません。適宜改訳したいと思います。


 ジョン・メイナード・ケインズ「人口減少の若干の経済的帰結」
 『ユージェニックス・レビュー』1937216日、ガルトン講義

一 将来は過去に決して似ていない。このことはよく知られている通りです。しかし一般的に言うと、私たちの想像力と私たちの知識は、どんな特別の変化を期待できるのかを語るには脆弱すぎます。私たちは将来がどうなるか分かりません。それでも、生活し活動する存在として、私たちは行動することを余儀なくされています。平穏と精神的な安寧のために、私たちは将来を見通すことがあまりにも少ないという事実から目を背けてしまいます。それでも私たちは何らかの仮説に導かれるしかありません。そこで、私たちは、到達不能な知識の代わりに特定の慣習に依拠する傾向があります。その主たる点は、あらゆる見込みとは逆に、将来は過去に似ているだろうと想定することにあります。これが私たちの実際の行動様式です。もっとも、私の考えでは、19世紀の人々は人間行動に関する哲学的考察の中でベンサム学派の奇妙な考案を受け入れ、その受容は当時の人々の自己満足の中の一つの要素でした。このベンサム派の考案によれば、代替的な行動計画にはすべての可能な帰結が結びついており、第一にある数が行動計画の比較優位を表現し、第二に他の数がその行動から生じることの確率を表現する、と想定されていました。そこで、ある特定の行動から生じるすべてのありうる帰結に結びつく数を掛け合わせ、またその結果を付け加えれば、私たちが何をなすべきかを発見することができることになるでしょう。こうして、将来を現在と同じように計算可能な位置に戻すために、確率論的な知識という神秘的なシステムが採用されました。この理論のように行動した人はこれまで誰もいません。しかし、今日でも、私たちの考えは若干のそのような似而非合理主義的な観念の影響をしばしば受けていると、私は思っています。
さて、今晩私は、将来が合理的であるというよりも過去に似ていると思い込もうとする、この慣習、私たちの誰も逃れることのできない行動慣習の重要性を強調したいと思います。というのは、私の考えでは、この慣習は特定の変化を予想させる相当な理由がある場合でさえ、影響を持ち続けるからです。そして、おそらく、私たちが実際に将来を展望する相当な力を持っている最も際立った一例は将来の人口趨勢です。私たちが将来に関係するほとんどどんな社会経済的要因よりもはるかに確実に知っているのは、私たちが数十年もの間経験してきた人口の急激な増加に代わって、きわめて短いうちに人口の静止または減少に直面することになるということです。人口の減少率ははっきりしませんが、将来における変化が私たちのこれまで経験してきたものと比べるとかなり大きなものになることは確かです。人口統計の効果における長いけれども一定のタイムラグのために、私たちは将来に関するこのような常識とは異なる知識を有しています。それでも将来が現在と異なるという考えは私たちの慣習的な思考・行動様式から乖離しているため、私たちは、私たちのほとんどは実際にそれにもとづいて行動することに激しく抵抗します。実際には、人口の増加が減少へと転じる結果、いくつかの重大な社会的帰結がもたらされることが既に予言可能です。しかし、私の今夜の目的は、この差し迫った変化のもたらす一つの際立った経済的帰結を取り扱うことです。つまり、しばらくの間、皆さんが固定観念から離れて、将来は過去と異なるという考えを受け入れていただけるように、皆さんに納得していただければ、と思います。
 二 人口の増加は資本に対する需要に極めて重大な影響を与えます。それは、技術的変化や生活水準の改善を脇に置くと、人口に多少とも比例して増加します。しかし、企業の期待は将来の需要よりも現在の需要にもとづいているので、人口が増加する時代には楽観主義が促されやすくなります。というのも一般的に需要は期待される量をしたまわるよりは超過しやすいからです。さらに一つの誤りがあっても、特定のタイプの資本が過剰供給になるという結果をもたらし、こうした状態の中で急速に是正されます。ところが、人口の減少する時代には、正反対のことが当てはまります。需要は期待されていたよりも低くなりやすく、過剰供給の状態は簡単に是正されません。その結果、悲観主義的雰囲気が世にただようことでしょう。そして、最終的には供給に対する影響を通じて悲観主義が是正されることになるとしても、人口増加から人口減少への転換の最初の結果はきわめて悲惨なものとなるでしょう。
19世紀とそれ以降における資本の巨大な増加の原因を評価するとき、私の意見では、人口増加の影響は、その他の影響と区別されるものとして、ほとんど重要性を与えられませんでした。資本に対する需要はもちろん、三つの要因に依存します。人口、生活水準、資本技術です。私は、資本技術という言葉を、当期に消費される財を効率よく調達する方法としての長期の過程の相対的な重要性、という意味で使います。それは私の頭の中では生産期間という形で便宜的に描写できる要因であり、大まかに言えば、労働が行われてから生産物が消費されるまでの間隔の加重平均です。換言すれば、資本に対する需要は消費者の数、平均的な消費水準、平均的な生産期間に依存するのです。
 さて、人口の増加が資本に対する需要を比例的に増加させることは必然的と言えます。また生活水準を高めるには、発明の進展が必要となるでしょう。しかし、生産期間に及ぼす発明の影響は、その時代に特徴的な発明の種類に依存します。交通、住宅の水準、そして公共サービスの改善が消費期間の拡大を幾分促したという特徴を備えていたことは、19世紀に当てはまっていたかもしれません。高度に耐久的なものがヴィクトリア時代の文明に特徴的だったことはよく知られています。しかし、同じことが今日でも当てはまるかどうかは同じように明らかというわけではありません。現代の発明の多くは、一定の成果を生産するための資本設備の量を減らす方法を見出すことに向けられています。また部分的には、嗜好や技術の変化の速度についての私たちの経験の結果、私たちの選好はあまり耐久的ではないタイプの資本財の方へ決定的に向けられています。それゆえ、私は、現在における技術の変化が自動的に平均生産期間を拡大させるような種類のものとなることに頼ることができるとは思いません。利子率の可能な範囲における変更による影響は別として、平均生産期間が減少する傾向があることさえありうるかもしれません。その上、平均消費水準はもしかするとそれ自体が、平均生産期間を減少させる影響を及ぼすかもしれません。というのも私たちが豊かになるに従い、私たちの消費は平均生産期間が比較的短い品目の消費、特に対人サービスへ向かうようになると予想されるからです。
さて、[人口減少とともに]消費者の数が減ってゆき、私たちが生産期間のどんな技術的変化による伸びにも頼れないならば、資本財の純増に対する需要は平均生活水準の改善または利子率の低下に全面的に頼ることになる状態へ投げ込まれます。それに関係する様々な要因の重要性重大を示すために、私は二三の大雑把な数字を使いたいと思います。
1860年から1913年までの50年にわたる期間を考えてみます。私は技術の変化によって生産期間の長さに大きな変化があったというどんな証拠も見つけられませんでした。実物資本の量に関する統計には特別の難しさがあります。しかし私たちの手にする統計は一単位の産出を生産するために使用される資本ストックの量が大幅に変化してきたことを示していません。最高度に産業化されたサービスの二つ、住宅建設と農業は古くから成立していました。農業は相対的な重要性を維持しながら減少してゆきました。人々が所得のうちますます多くの割合を住宅の購入に充てたことについては、戦後については確かに一定量の証拠があるのですが、その時にのみ、技術的な生産期間の大幅な伸びを期待するべきでしょう。戦前の50年間は利子率の長期的な平均がかなり一定であったのですが、この期間には、生産期間が10パーセントほど伸びたとしても、それを超えて伸びることはなかったという確信を私は抱いています。
さて、同じ期間中に英国の人口は50パーセントほど増加し、そしてこの人口に仕える英国の産業と投資はもっと大きく増加しました。また私は生活水準がおおむね60パーセントほど上がったはずだと考えています。このように、資本に対する需要が増加したことは主に人口の増加と生活水準の上昇によるものであり、またわずかながら消費単位あたりの資本化の上昇に応じた類の技術的変化によるものです。要約すると、人口の数値は信頼できるものであり、資本の増加のうち約半分は人口の増加に応じるために必要となったものでした。おそらく数値はおおよそ次のとおりです。ただしこれらの結論はわきめて大まかであり、以下に述べることのためのおおまかな目安であることを強調しておきます。

  1860年 1913

  100    270  …  実物資本
  100    150  …  人口
  100    160  …  生活水準
  100    110  …  生産期間
これからわかるように、生活水準の同じような改善と生産期間の同じような増大とを伴いつつも、人口が静止していたとすれば、実際に引き起こされた増加分の半分を少し上回る程度の資本ストックの増加しか必要なかったでしょう。その上、住宅投資の半分近くが人口増加によって必要とされていましたが、この時期における外国投資のかなり高い割合もこの原因によると考えられます。
一方、平均所得の増加、家族規模の縮小、およびその他多数の制度的ならびに社会的な影響が完全雇用の条件下で貯蓄に向けられる国民所得の割合[つまり貯蓄性向]を高めてきたかもしれません。ただし、反対の方向に作用する他の要因、特に最富裕層への課税という要因があるため、この点[貯蓄性向の上昇]については私は確信がありません。しかし、今日、完全雇用の条件下で貯蓄されることになる国民所得の割合は各年の国民所得の8パーセントから15パーセントまでのどこかにあると言っても間違いないでしょう。そして私の主張にとってはこれで十分です。この貯蓄率は資本ストックの年々の何パーセントの増加と関係しているでしょうか。これに答えるためには、私たちは現存する資本ストックが国民所得の何年分にあたるかを評価しなくてはなりません。これは私たちが正確には知っていない数値ですが、大きさのオーダーを示すことは可能です。私が答えを申し上げると、皆さんは自分の期待する答えと大きく異なることにおそらくお気づきになるでしょう。現存する国民的資本ストックは年間の国民所得の約4倍に等しいのです。つまり、もしわが国の一年あたり国民所得が40億ポンドあたりにあれば、わが国の資本ストックはおそらく150億ポンドだということです。(私はここでは外国資本を含めていませんが、それを含めれば4.5倍に上がります。)このことから導かれるように、年間国民所得の8パーセントと15パーセントの間の率で行われる新規投資は、一年あたり2パーセントと4パーセントの間の資本ストックの累積的な[毎年の]増加を意味します。
主張を要約しましょう。私は、これまで2つの暗黙の仮定、すなわち富の分配にも貯蓄される国民所得の割合に影響を及ぼす他のあらゆる要因にも激しい変化がないという仮定と、さらにまた平均生産期間の長さを大幅に変えるのに十分な利子率の大きな変化がないという仮定とを置いてきたことに注意してください。私たちは後で、これら二つの仮定を取り除くために立ち返ることにしましょう。ともあれ、こうした仮定に立つと、わが国の現存する組織を維持し、繁栄と完全雇用の条件をまもるために、私たちは毎年2パーセントから4パーセントに達する資本ストックの純増のための需要[純投資需要]を見つけ出さなくてはならなくなるでしょう。またこれはいつまでも毎年続くこととなることでしょう。以下では、より低い評価、すなわち2パーセントを用いることにします。というのは、これが低すぎる数値だとしても、私の主張はなおさら確実なものとなるからです。
これまで新規の資本に対する需要は二つの源泉に由来し、そのいずれもほぼ等しい強さでした。その半分より少し小さい方は人口増加からの需要に応じるものであり、半分より少し大きい方は一人あたり産出を増加させ、より高い生活水準を可能にする発明と改良に応じるものです。
さて、過去の経験は、生活水準の年間1パーセントを超える大きな累積的[持続的]な上昇がまれにしか実現できなかったことを示しています。たとえ発明の豊穣さがより多くを可能としたとしても、それがもたらす以上に大きな変化率に適応することは簡単ではありません。過去数百年の間にこの国では、年に1パーセントの率で生活水準の改善が進展したのは10年か20年だったでしょう。しかし、一般的に言うと、生活水準の改善の率は年に1パーセントより少し低かったように思われます。
おわかりのように、私はここで次の二つを区別しています。一つは、一単位の資本が以前よりも少ない労働量で一単位の生産物を産出することを可能にする発明であり、もう一つは、生産される生産物に対して使用される資本ストックの量を「もっと」大きくするような変化をもたらす発明です。私は前者の型の技術革新は将来においても近くの過去と同じように続くのではないかと思っており、また、この技術革新は近い将来においても、私たちがこの数十年を通して経験してきた最高の水準に向かうということを私の仮説として受け入れる用意があります。また私は、完全雇用と人口静止を仮定すると、この項目に該当する発明がわが国の貯蓄の半分以上を吸収することはありそうにないと考えます。しかし二番目のカテゴリーでは、何らかの発明が何らかの方法を切り開きます。利子率が一定と仮定すると、発明の正味の結果が何らかの方法によって産出一単位あたりの資本に対する需要を変えることは、明らかではありません。
それゆえ、ここから結論されることは、長期間にわたり繁栄の均衡条件を確実なものとするためには次のことが本質的となってくるということです。すなわち、私たちが所得中のより小さい部分が貯蓄されるようにするために制度や富の分配を変えるか、それとも、産出に比してより多くの資本の使用をもたらすような技術または消費の方向のきわめて大きい変化を有利とするのに十分なほど利子率を下げるか、のいずれです。それとも、もちろん私たちが賢ければ、両方の政策をある程度まで追い求めることができるでしょう。
三 この見解は、一人あたりの資本資源(主に古い著述家たちが土地の形で心に描いてきたもの)が多いほど生活水準に巨大な恩恵があり、人口の成長は資本資源を抑えてしまうから生活水準にとって悲惨であるという以前のマルサス派の見解に対してどのように関係しているのでしょうか。一見すると、私はこの古い説に異議を唱えており、逆に人口が減少する局面では繁栄を維持することが以前よりもはるかに困難となると主張しているように思われるかもしれません。
ある意味ではこれは、私が話していることの正しい解釈です。しかし、もしここに古いマルサス主義者がいるならば、私は彼らの本質的な主張を否定していると彼らに思われないようにしなければなりません。疑いなく、人口の静止は生活水準の上昇を促します。ただし、これはある条件、すなわち人口の静止状態が可能とする場合のように、資源と消費の増加が実際に生じる条件の下でのみ可能となります。というのは、私たちは少なくともマルサス派の悪魔と同じくらい凶暴な別の悪魔、つまり有効需要の破損から現れる失業の悪魔がすぐそこにいることを学んだからです。おそらく私たちはこの悪魔もマルサス派の悪魔と呼ぶことができるでしょう。というのもこの悪魔について初めて語ったのはマルサス自身だったからです。若きマルサスは身のまわりの人口の事実を見て、問題を合理的に解釈しようとしたとき、人口の事実に悩まされましたが、後年のマルサスは――残りの分野における彼の影響に関する限り、はるかに成功しませんでしたが――身のまわりの失業の事実を見て、問題を合理的に説明しようとしたとき、もはや失業の事実に悩まされることはありませんでした。さて、マルサスの悪魔Pが鎖につながれているときは、マルサスの悪魔Uが束縛から逃げだしやすくなります。人口の悪魔Pが鎖につながれているときは、私たちは一つの脅威から逃れます。しかし、私たちは以前よりも失業した資源の悪魔Uにますます晒されるようになってしまうのです。
人口静止の下では、繁栄と治安の維持のために、生産期間の長さの大幅な変化を有益にしようとしてより平等な所得分配と利子率の抑制によって消費を増加させる政策に完全に依存することになる、と私は主張します。もし明確で固い決意をもってこれらの政策を行わなければ、疑いもなく、私たちが一方の悪魔を鎖につなぐことによって当然のこととして得ている恩恵は奪われ、さらには他のおそらくもっと耐え難い略奪行為の苦しみを味わうことになります。
とはいえ、求められている変化に反対する多くの社会的および政治的な勢力が現れるでしょう。私たちが徐々に変化を実現しなければ、変化を賢明に実施できないことは十分にありえます。私たちは目の前にあるものを予見し、それに歩み寄らなければなりません。もし資本家社会がより平等な所得の分配を拒み、銀行および金融の勢力が利子率を19世紀に平均的であった数値(ちなみに、これは今日支配的な利子率より少し低率でした)にだいたい近い数値に維持することに成功するならば、資源の過小雇用へと向かう慢性的な傾向が最終的に[経済社会の]活力を失わせ、その社会を破壊するに違いありません。しかし、そうではなく、もし時代の精神とここにあるような啓蒙の精神とに説得され導かれるならば、私が願うように、それは私たちの蓄積に対する態度の漸次的な進化を許し、それゆえ人口の静止または減少という環境に適したものになるでしょう。おそらく、私たちは両方の世界の最善のものを入手すること、すなわち、私たちの現在の制度の自由と独立性を保つことができるでしょう。一方、より多くの信号異常が資本蓄積の重要性の低下とともに次第に安楽死を遂げ、資本蓄積に付随する報酬[利潤のこと]は社会的スキームの中の本来の位置にまで低下してゆきます。
あまりにも急激な人口減少は明らかに多くの深刻な問題を引き起こすでしょうし、またそのような事態の中で、またはそのような事態の脅威の中で、それを予防する措置がとられなければならない理由については、今夕の討論の範囲外とはいえ、[そのような措置の必要性には]強い理由があります。しかし、人口の静止または緩やかな減少は、もし私たちが必要な力と賢さを働かせれば、(私たちの伝統的な生活スキームを失う人々に何が起きるかを見ている以上、私たちが尊重するべき伝統的な生活スキームの部分を保ちながら)、生活水準を然るべきところに引き上げることを可能とするかもしれません。
そこで、最後に要約すると、私の主張は古いマルサス派の結論から離れるものではありません。私はただ一方の悪魔が鎖につながれていても、もし注意を怠れば、もう一方のなおさら凶暴な、そしてもっと手に負えない悪魔を解き放つだけであるという忠告をしたいだけです。
                                (以上)