2015年6月19日金曜日

失業の諸見解

 そもそも失業とは何であり、何故生じるのか?
 最も抽象的なレベルでは、一方に労働供給(働きたいと思う人、L)があり、他方に労働需要(企業が雇いたいと思う人の数、N)があり、両者の差 (U =LーN)が失業者である。
 現在では、普通、15歳〜64歳の人が生産年齢人口が考えられているが、もちろん、この人口すべてが労働供給ではない。その中には、就学者、専業主婦、働きたくても働けない病人・ケガ人・障碍者がいる。また現在の統計では、会社を解雇されたのち、就職活動をあきらめた人(discouraged people)も労働供給から除かれている。これらの人々の数は、長期的には、歴史的要因によって大きく変化するが、ラフに言うと、短期的には一定と考えることができる。これが実質賃金率によって大きく変化することがないことは、以前のページで説明してある。
 一方、労働需要は、企業が生産のために雇いたいと考える労働力(人数)であり、これは最も簡単なモデルでは、生産量に比例し、労働生産性に反比例する。つまり、
   N=Y/ρ   雇用量=生産量÷労働生産性
 そこで、簡単のために、労働供給を一定とすると、雇用量が増えれば失業者が減り、雇用量が減れば失業者が増えることは言うまでもない。 

 これらを前提とした上で、雇用と失業を変化させる要因を考えることとするが、現在の経済学では、次の4つの見解があるといえよう。

1)構造的失業論(技術=労働生産性論者)
 この見解では、失業、特に景気循環を通して長期にわたって持続する失業は、構造的失業と呼ばれ、その理由は技術発展、すなわち労働生産性の上昇に求められる。
 この見解は、近年の高失業、失業率の上昇を技術革新、特に近年のITC技術の発展に求めようとする。上の式から見ても、正しいと思えるかもしれない。
 しかし、例えば1980年代前半の急速な失業率の高騰や、その後、1990年代に生じた再度の高失業率を、それぞれの時期に生じた労働生産性の旧上昇に求めることには無理がある。これらの時期は労働生産性の上昇率が相対的に低かった時期であり、むしろ生産性の上昇率が高かったのは1960年代であったが、言うまでもなく、この時期は「資本主義の黄金時代」であり、完全雇用の時代であった。
 もう一言付け加えておこう。もし高い技術進歩が高失業の原因ならば、そろそろこの辺で人々の一人一人の労働時間を減らすという方策、ワークシェアリグを実施したらどうか、というのが私の提案である。
 ところが、このように言うと、必ずとってよいほど、それでは一人一人の賃金所得が減少してしまうではないかという反論がやってくる。でも、そのように言うということは、やはり(少なくとも)失業者の部分については所得=有効需要が不足しているということを意味していることになる。つまり、これは以下の(4)の正しさを示すことになるわけである。

2)マネタリズム
 現在の欧米日の保守政権に影響力を及ぼして来たのは、マネタリズムの思想であり、この見解では、それぞれの国・地域の労働市場の構造(柔軟性や硬直性、労働組合の労働条件に関する交渉力など)によって「自然失業率」なるものが存在すると説く。そして、政府は、どんなに政策的に努力しても、この「自然」失業率よりも低い失業率を実現することができない、と主張する。あるいは、仮に政府が一時的に失業率を「自然」失業率以下に引き下げることができたとしても、政府の財政支出はインフレーションをもたらすだけでなく、結局のところ、再び失業率を「自然」失業率(以上)に戻す、と主張する。
 この教説は、さらに進んで、NAIRU(「失業率を加速しない失業率」の意味)という議論にまで行き着いた。つまり、何らかの政策によって失業率を「自然」失業率より低くしてしまうとインフレーションを起こすだけでなく、加速してしまい収束不能にするので、一定率以上の失業率を維持するべき、というものである。いやはや、凄まじい「理論」が出てきたものである。しかも、驚いてはいけない。これを主張しているのは、OECDに加盟している多くの国の政府であり(!)、また「新しいケインズ派』と呼ばれている人々なのである。ケインズが聞いたら、「私はケインズ派ではない」というだろう。
 一体、どこからこのような「理論」が生まれるのだろうか?
 この理論が次に述べる(3)新古典派の議論の系論の一つであることは、以下の説明から簡単に理解できるだろう。ここでは、何故、政府の活動が失業率を引き下げることができないという結論がどのように導かれたのかを説明し、それが奇妙な議論であることを示すにとどめておこう。
 結局、本質的には、マネタリストの議論は、クラウド・アウト(crowding-out)の主張につきる。すなわち、政府の支出(財と金融の2側面から考えられる)は、民間企業の活動を閉め出してしまう(crowd out)、というものである。例えば、今政府が何かの目的のために(例えばオリンピックでも社会福祉でもよい)のために借金をして10億円を支出すると、それは民間部門の経済活動をちょうど10億円分縮小するとされる。つまり差し引きゼロであり、効果はない、ということになる。
 しかし、何かおかしいと思わないだろうか? もし私(民間人)が借金して10億円を(オリンピックのためでも、福祉の目的のためでもよい)支出すると想定しよう。この場合には、マネタリストは、クラウド・アウトが生じるとはいわない。何故だろうか? 私が政府ではなく、民間人だからである。しかし、市場では、政府の支出したカネと民間人の支出したカネを区別するのだろうか? 
 たしかに、すべての資源(モノ、労働力)がフルに利用されているケースであれば、追加の支出(有効需要)は、市場を圧迫してクラウド・アウトが生じるかもしれない。しかし、今問題としているのは、それとまったく異なり、失業(不完全就業)が生じている時・地域である。(念のため、私はいわゆる波及効果のことは論じていないので注意。)
 マネタリストの議論でさらに奇妙な点は、「自然」失業率やNAIRUの数値がきわめて短い間に著しく変化する点である。そもそも定義上、労働市場の特徴は短期的には変化するはずもないので、自然失業率もNAIRUもほとんど変化しないはずである。もちろん、定義上、長期的には(政府の雇用柔軟化政策によって)労働市場の構造が変化すれば、それらの自然失業率やNAIRUも変化するであろう。しかも、近年の保守政権の下での雇用柔軟化政策によって低下傾向を示すはずである。
 ところがである。アメリカの統計でも、ヨーロッパの統計でも、OECDの統計でも、NAIRUが示されている限り、それらはめまぐるしく(つまり景気変動に応じて)変化している。いうまでもなく、こうした事実は、マネタリズムが破綻していることを如実に示すものである。

3)新古典派の高賃金が高失業の原因という議論
 この議論はケインズ等によって批判済みであり、理論的にも実証的にも成立しないことは、私の以前のブログで書いた通りであり、ここでは省略する。

4)有効需要の不足
 かくして失業を説明する有効な議論は、(1)か、さもなくば(4)有効需要の不足に由来する生産量が不足しているという理論となる。繰り返すが、(1)が成立するのは、もうこれ以上にモノ(財とサービス)の産出が不要とされる場合である。さもなければ、(4)が成立する。
 実際、これによってヨーロッパ、特にユーロ地域の高失業が説明されることを示しておこう。(続く)

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