2016年10月19日水曜日

「異次元の金融緩和」はなぜ失敗に終わったのか? 歴史的経験から

 経済史の世界では、金融政策に関する様々な面白いトピックがある。
 
 シニカルな名言を沢山残した米国の伝説的な経済学者、ジョン・ケネス・ガルブレイスが、例えばミルトン・フリードマンのマネタリズム(通貨主義)を皮肉った言葉などは、是非とも紹介する価値があるだろう。

 たしか1976年にいわゆる「ノーベル経済学賞」(正確には、アルフレッド・ノー-ベル記念スウェーデン国立銀行経済学賞)を受賞したフリードマンだが、1979年頃からイギリスとアメリカ合衆国で試みられるや、彼の唱えた金融政策がすぐに大失敗に終わってしまったことが明らかとなったことがあった。
 私は、まだ大学院で経済学研究をはじめたばかりのことであったが、当時の日経新聞に誰だか名前は忘れたがある大学の教授が貨幣数量説を支持し、解説する文章を書いていたのを帰省中の電車の中で読んだことを思い出す。

 さて、フリードマンの貨幣数量説によれば、貨幣は中立的であり、その量(貨幣ストック)は実体経済(簡単にマクロ的に言えば、Yで示される)に影響を及ぼさない。影響は、物価上昇率にのみ及ぶと想定されていた。
  数式で価格、貨幣量、貨幣の流通速度、生産量の関係を示せば、
            P=MV/Q      (1)
  それぞれの変化率の関係を示せば、
            p=m+vーq     (2)
  想定より、v=0 (貨幣の流通速度=不変) だから
            p=mーq        (3)
  これは例えば生産量が3%増加するとき、貨幣量が3%の増加なら、インフレーションは生じないが、例えば貨幣量が5%増加すれば、差し引き2%のインフレが生じることを示す。だから、彼の提言では、インフレを抑えるには、中央銀行が貨幣量を減らせばよい、ということになる。

 この想定が現実離れしていることは、これまでのブログでも何回も紹介しているので、省略するが、このフリードマン「理論」によれば、貨幣は(実体経済に対して)中立的なのだから、インフレを抑えるために貨幣量を減らしても(あるいはそのために金融引締政策を実施しても)、実体経済には何らの影響も及ばないはずである。
 だが、それを試みたアメリカ合衆国、そして連合王国(イギリス)ではどうなったか? 
 周知の通り(多分)、経済は急速に悪化し、失業率は急上昇した。アメリカの失業率はあっという間に10%を超えるに至った。イギリスでも、景気悪化のチャンネルはアメリカの場合とは若干異なるが、結果は同じである。

 そこで、わがジョン・ガルブレイスの登場である。彼はさらりと書いた。
 「ミルトン・フリードマンの不幸は、彼の経済政策が試みられたことである。」

 確かに、実際に英米で試みられさえしなければ、彼の理論は、まだ多少とも長持ちしたかもしれない。実際には、フリードマンの実験はすぐに中止され、彼の信用は地に墜ちた。かわいそうにと言うしかないだろう。しかし、なぜこのようなばかげたことが実践されたのだろうか?
 
 金融政策の歴史には、さらに触れずにはおかない出来事がある。
 
 私などは、これも(もちろん)戦後になってからガルブレイスを通して知ったことだが、中央銀行は「紐を引くことはできるが、押すことはできない」という金融政策上の比喩に示される事実がある。
 
 これは、中央銀行はタイミングを誤った金利引き上げ、またはあまりに大幅な金利の引き上げで経済を減速したり、景気後退に追いやることができるが、逆に(少なくともある状況の下では)どんな金融緩和策を実施しても、景気を回復させることができないことを意味している。それは金融政策の力が対称的ではないことを意味しており、要するに、金融政策は中央銀行が経済を後ろに「引く」ことのできる紐のようなものであるが、紐を押してもその紐はぐちゃぐちゃになるだけである。
 
 現在のアメリカでは、この比喩(「紐を押すことができない」)は、多くの入門的な経済学教科書にも載せられているようである。例えば、連邦準備制度の目標利子率(「フェデラル・ファンド・レート)を長期間ほぼゼロ%にしてきたのに、しかも、それを将来も継続するという指針を示し、さらに2兆ドルの財務省証券(国債)と不動産担保証券を連邦準備銀行が直接購入しても、経済がはかばかしく成長しなかった。ただし、最近の米国は、若干好調に転じているが、それは化石燃料革命と情報技術革命の新展開によるものであり、金融政策外の要因によるものと言えよう。(この金融政策外の要因が本質的に重要である。)

 ところで、この金融政策上の「紐を押す」という比喩は、最初いつ使われたのだろうか?
 それは、1935年3月18日に実施された銀行業および通貨に関する下院委員会の前のヒアリングで行われたようである。 1934年に連邦準備制度理事会の議長に任命され、1951年まで理事会に在任したマリナー・エクルスは、トマス・アラン・ゴールズボロ下院議員(民主党)とプレンティス・M・ブラウン議員(民主党)から質問を受けていた。その発言は、連邦準備制度がデフレーションを終わらせるために何をすることができるかという議論の中で出てきたようである。

エックルス理事 「現在の環境下では、極めてわずかなことしか行うことができません。」

ゴールズボロ議員  「紐を押すことはできないという意味ですね。」

エックルス理事  「それはよい表現方法です。紐を押すことはできません。 私たちは、不況の深みにおり、私がこの委員会の前に何回も言ったことがあるように、割引率の引き下げを通じて、また余剰の準備金の創造を通じてイージーマネーの状況を作ることを超えています。準備組織が回復をもたらす方向に向かってできることは、あるとしてもほとんどありません。 私は、信用インフレーションの点にまで発展している大きなビジネス活動の条件の中では、金融行動が過度の拡大をきわめて効果的に抑制することができると信じています。」

ブラウン議員 「それは紐を引っ張る場合ですね。」

エックルス理事 「そうです。 割引率の引き下げを通じて、チープマネーを作り、また余剰の準備金を創出すれば、特にもしその力がこのような適切な要件の拡大と結びつくならば、デフレーションを止める可能性があります。」

 読者は、この下線部に十分注意するべきであろう。

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