2016年10月8日土曜日

ケインズの乗数理論は、波及効果の理論ではない! 財政乗数の理論でもない! 2

(続く)

 前回は、ケインズの乗数(理論)は、決して「波及効果の理論」ではないことを述べました。
 が、どうしてそのようなことをいまさら言わなければならないのか、それは次のような理由からです。

 たまに、私の演習生の中に、例えば「オリンピックの波及効果」を、より一般的に言えば、「・・・の波及効果」を卒論のテーマに選びたいという学生がいます。学生がこのように言う背景には、テレビ等で「・・・の波及効果」が・・・億円などという発言があったりするからでしょうが、また近年の景気停滞(世間一般では「不況」と言っているようです)を身にしみているから、何とか明るい話はないかと思うからでしょうか。

 それはさて、波及効果なるものを私も頭から否認するものではありませんが、その思想を広めたポール・サミュエルソン(故人)にしても、波及効果は急速に減衰することを認めていますし、また波及効果はどれほどの時間的スパンで続くのか述べていません。ただケインズの乗数(理論)をそのような方法で説明しているだけです。しかし、ケインズ自身は、あくまでも即時論的な(つまり一定期間を取るときに、その期間内における(設備)投資と総需要=総生産との乗数関係を指摘しているだけです。(ただし、貯蓄性向や消費性向が同じならばと仮定の下に、です。)また波及効果なるものが最後まで行き着かなくても、一次波及であろうが、二次波及であろうが、三次波及、四次波及、n次波及でも常に一定期間内では乗数関係が成立します。

 しかも、t 期における投資がt+1 期の総需要=総生産にどのような影響を及ぼすかという段になると、おそろしく複雑(complicated)な、社会的、心理的、客観的、偶然的な要因を考慮しなければならず、さらに事態は複雑系(complex system)の様相を呈します。すべての世界事象は相互依存的に成立しているため、単純な決定システム系で説明することは絶望的に不可能です。

 そこに財政支出という要素を含ませる場合には、さらに複雑な要素が加わることになるでしょう。

1)いま財政支出をG(例えば90兆円など)とすると、国民の総需要=総生産 Y は、
     Y=D=C+I+G       (1)

と書き加えられそうです。
   
 しかし、それほで簡単ではありません。(1)式は、現実の社会の経済行動をかなり抽象化したものであり、そこには消費需要(消費財に対する需要)と投資需要(資本財に対する需要)しか含まれいません。つまり、消費財や資本財を生産する際に必要となる中間財(鉄や石炭、鉱物資源など)は除外されています。したがって G からも該当部分を除去しなければなりません。
 すると、残りの Gc+i には、消費財と資本財に対する需要のみ含まれることになります。
 現在の政府は、ほとんど生産企業を持ちませんので、これらの消費支出は、公務員の家計に対して給与として支払われたのち、それらの家計(民間部門です)から消費財を購入するために支出されるでしょう。これを Gc とします。(もっとも政府が消費財を購入し、それを何らかの形で家計(つまり人々)に支給することもありえます。)
 残りが、資本財(つまり道路、橋、ダム、港湾、公共施設など)をストックするために、政府が(自分で建設する場合もあるかもしれませんが、これを省くと)を得るために、民間企業に支払いを行って建設させ、取得する部分になります。
 これを考慮した式は、(1)式と比べると格段に複雑な式になります。

2)さて、財政支出のためのお金(貨幣、通貨)は、どこから来るのでしょうか? これも考えておかねばなりません。
 もし財政が均衡しているのであれば、それはほとんどが租税収入(T)から来るはずです。式で表せば、
     Y=C+S+T       (2)
  (ただし、Cは消費支出、Sは貯蓄、Tは租税収入です。海外は捨象しています。)

  ここで注意しなければならない点の一つは、C、S、T 相互が密接に関係していることです。
  例えば最近も実施されたような消費税の増税(3パーセントポイント、約8兆円)は、その他の条件が同じならば、それだけ可処分所得を減じることになりますから、消費支出を減らす方向に作用しそうです。(また実際、そうなりました。だからこそ、安倍首相に招待されたクルーグマンもスティグリッツもそれにはっきりと反対しました。)
 では、政府が赤字国債を発行するなどして、借金で支出を行った場合はどうでしょうか?
 その場合には、民間の有効需要は減少することがないかもしれません。これも、2008年のリーマンショックののち、米国およびヨーロッパ諸国の政府がみさかいのない財政支出を行なった理由です。ちなみに、ギリシャでは金融危機の前から民間の借金は大幅に増えていましたが、「政府」の財政赤字が増えたのは金融危機以降です。
 しかし、このような経済運営が政府の(粗)債務を増やすことは間違いありません。ここで「粗」(グロス)というのは、政府は他方で資産(債権)を持っているからであり、その差額が「純」(ネット)の債務となります。しかし、純債務があったり、粗債務が増えることは、財政危機をもたらす(または煽る人や機関が現れる)こととなり、好ましいことではありません。現在のヨーロッパでもいったん経済が安定すると、今度は「緊縮」が実施され、景気が悪化するなどの現象が生じています。

 さて、以上のことから結論します。

1)政府支出全体 G から見ると、それが経済規模全体(生産や所得、需要)に与える効果は、きわめて小さいということができます。乗数関係から言えば、1を超えることは間違いありませんが、投資乗数(1/s)からみればはるかに小さなものとなるでしょう。
 ただし、2008年~2009年のような空前の大不況手前までいったようなときには、かりに財政支出の乗数が1を少し超える程度であっても、それが実施されなければきわめて深刻な事態に陥っただろうという意味では有効だったと思われます。

2)政府の設備投資 Gi による社会全体に対する乗数関係はどうでしょうか?
 これは、民間投資 I による乗数関係とは、通常の統計で区別することができません。もちろん、ある種の統計学(回帰分析など)によって推計することはできるかもしれません。
 しかし、民間投資による効果と公共投資による効果は、色で塗り分けられているわけではないので、あくまで推計にとどまります。両者の関係は量的というより、相互に補い合うものといえるでしょう。

 また前回示したように、政府の財政乗数があるとしても、それもまた一定期間内の乗数関係であり、波及効果によるものではないことは言うまでもありません。
 
 しばしば財政支出政策を「ケインズ政策」と呼ぶ人がいます。確かにケインズが不況時における財政支出を主張したことは間違いありませんが、彼は「財政支出」を行いさえすれば、それでよいと言ったのではなく、それが民間投資のポンプ役を果たすに過ぎないこと、またそうなるためには、所得の平等化政策や、様々な労働者保護政策を行うべきことを説いていたことを忘れてはなりません。 このことは『一般理論』はもちろん、1930年代に書かれた様々な論部に見ることができます。
 (この項は、とりあえず終了。)

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