2017年4月5日水曜日

憲法に反する「教育勅語」 菅官房長官の妄語を切る

 昨日(4月4日)の記者会見で、菅官房長官は、「憲法や教育基本法に反しない適切な配慮の下で(教育の教材として)取り扱うことまで、あえて否定すべきでない」と述べた。

 しかし、教育勅語がまさに戦後の日本国憲法に反することは、まったく明らかである。
 その理由は下段に記すが、上の発言はまさに安倍政権がどのような体質を持つ政権であるかをよく示している。

 教育勅語とは何であり、またなぜ戦後の憲法に反するのか?
 それを理解するためには、明治憲法と教育勅語の成立について知る必要がある。

 ごく簡単に言えば、1889年(明治22年)に公布された明治憲法(大日本帝国憲法)には、一方で立憲君主制的性格を持っていたが、それと同時に君主(天皇)の身位についての特別の性格(神聖不可侵性)を規定していた。第三条は、「天皇は神聖にして侵すべからず」と述べている。この規定は、プロイセン王国憲法第43条「国王の身位は侵すことができない」(Die Person des Koenigs ist unverletzlich)を原形とするものだったと考えられている。しかし、プロイセン憲法では、国王の身位だけでなく、「信書の秘密」「所有権」「住居」などの人々の権利も「侵すことができない」(unverletzlich)とされていた。
 そもそも憲法とは、国家(権力)の行為を規定するものであり、そこに侵すことのできない人々の権利が明記されているということは、国家権力(政府)が人々の権利を恣意的に奪うことができないように縛るものである。
 ところが、明治憲法では、天皇の身位は「神聖不可侵」(sacred and inviolable)であったのに対して、国民の諸権利(第22条~30条)は「侵さるることなし」(inviolate)とかるく言及されてた。これは、明治憲法体制が立憲君主制の外観をとりながら、超立憲君主制の性格を色濃く持っていたことを示す。だが、明治憲法の中では、この超立憲君主的性格は明確になしえなかった。(以上、三谷太一郎『日本の近代とな何であったか』岩波新書を参照。)
  
 このことは、明治22年6月22日に枢密院における大日本帝国憲法草案の審議で「臣民の権利義務」について伊藤博文と森有礼との間で行われた議論に伺うことができる。

森有礼(文部大臣)
「本章(草案第二章)の臣民権利義務を改めて臣民の分際と修正せん。今其理由を略述すれば、権利義務なる字は、法律に於ては記載すべきものなれども、憲法には之を記載すること頗る穏当ならざるが如し。何となれば、臣民とは英語にて『サブゼクト』(subject)と云うものにして、天皇に対するの語なり。臣民は天皇に対しては独り分限を有し、責任を有するものにして、権利にあらざるなり。故に憲法の如き重大なる法典には、只人民の天皇に対する分際を書くのみて足るものにして、其他の事を記載するの要用なし。・・・分際とは『レスポンシビリテー』、即ち責任なり。分のみて可なり。」(カタカナをひらがなに直す。)

伊藤博文(枢密院議長)
「森の説は憲法及国法学に退去を命じたるの説と云ふべし。抑憲法を創設するの精神は、第一君権を制限し、第二臣民の權利を保護するにあり。故に若し憲法に於て臣民の権理を列記せず、只責任のみを記載せば、憲法を設くるの必要なし。又如何なる国と雖も、臣民の権理を保護せず、又君主権を制限せざるときには、臣民には無限の責任あり、君主にあ無限の権力あり。是れ之を称して君主専制国と云ふ。故に君主権を制限し、又臣民に如何なる義務を有し、如何なる権理を有す、と憲法に列記して、始て憲法の骨子備はるものなり。」

 いずれにせよ、明治憲法の条文では、天皇の超立憲君主制的性格は明確に規定できず、それゆえにここから憲法外に「神聖不可侵性」を体現する天皇の超立憲主義的積極的に明示しようとする動きが現れてくることになる。

 ここでは教育勅語の成立過程については、一切割愛するが、1890年(明治23年)10月に発布される。しかし、立憲主義の建前をとる明治憲法の第28条)が規定する「信教の自由」と、精神的・道徳的立法者としての天皇という思想をどのように両立させるかは、それほど簡単なことではなかった。教育勅語制定のイニシアティヴをとった井上毅は、結局、「今日の立憲制に従えば、君主は臣民の良心の自由に干渉しない。今、勅諭を発して教育の方向を指し示すには、政治上の命令と区別して、社会上の君主の著作広告と看なして行う以外にない」と述べ、そのように実施する。

 こうして国務大臣の副署もなく成立した教育勅語は、立憲君主制の原則に拘束されない絶対的規範として定着する。

 それから56年後の1946年10月8日、文部省は学校における教育勅語奉読の廃止と詔書の神格化を通達し、また1948年6月19日、衆参両院は教育勅語の失効を確認し、それらを排除する嫌疑を成立させた。

 ここでいくつかの点をはっきりさせておこう。
 1.以上に示したように、教育勅語は、天皇の神聖不可侵性と精神的立法者という反立憲主義思想にもとづく超立憲主義体制を支えるものであり、明治の立憲君主制体制とさえ齟齬をきたしていた。
 2.現行の憲法では、天皇は「国民統合の象徴」となっており、したがって現行の日本の政体は民主制であり、決して立憲君主制ではない。だが、教育勅語は、国民を「臣民」(subjects)、つまり天皇の臣下と把握しており(これは上記の森・伊藤の議論にも明白に示されている)、戦後の民主憲法に真っ向から対立している。
 3.マスコミ等では、ときおり「教育勅語にはいいことも書いてある」と発言する人もいる。たしかに親孝行、兄弟愛、夫婦相和、学業などだけを読めばそうかもしれない。 しかし、そんなことは教育勅語に終わるまでもない。またそもそも道徳(モラル)とは、人々の中に自然に生まれるものであり、神聖不可侵な君主から義務として強要されるものではない。しかも、「一旦緩急アレハ義勇公ニ奉シ以テ天壤無窮ノ皇運ヲ扶翼スヘシ」とあり、まさにこれが大問題である。
  「国民、人々の命を大切にしよう」では決してなく、むしろ「滅私奉公せよ」、これが教育勅語のメッセージに他ならない。 

 以下に「教育勅語」を転載しておこう。
 
朕惟フニ我カ皇祖皇宗國ヲ肇ムルコト宏遠ニ德ヲ樹ツルコト深厚ナリ

我カ臣民克ク忠ニ克ク孝ニ億兆心ヲ一ニシテ世世厥ノ美ヲ濟セルハ
此レ我カ國體ノ精華ニシテ教育ノ淵源亦實ニ此ニ存ス
爾臣民父母ニ孝ニ兄弟ニ友ニ夫婦相和シ朋友相信シ恭儉己レヲ持シ
博愛衆ニ及ホシ學ヲ修メ業ヲ習ヒ以テ智能ヲ啓發シ德器ヲ成就シ
進テ公益ヲ廣メ世務ヲ開キ常ニ國憲ヲ重シ國法ニ遵ヒ
一旦緩急アレハ義勇公ニ奉シ以テ天壤無窮ノ皇運ヲ扶翼スヘシ
是ノ如キハ獨リ朕カ忠良ノ臣民タルノミナラス
又以テ爾祖先ノ遺風ヲ顯彰スルニ足ラン
斯ノ道ハ實ニ我カ皇祖皇宗ノ遺訓ニシテ子孫臣民ノ倶ニ遵守スヘキ所
之ヲ古今ニ通シテ謬ラス之ヲ中外ニ施シテ悖ラス
朕爾臣民ト倶ニ拳々服膺シテ咸其德ヲ一ニセンコトヲ庶幾フ

明治二十三年十月三十日

 

 
 

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